楽しく酒を飲んでいた・・・でも、気付いたら、片足がない!
2012年8月に東急渋谷駅で20代女性が左足切断してる。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年1月13日
2014年3月に佐賀県で50代男性が左足膝下から切断してる。
昨日(2018年1月13日)は、神奈川県で20代男性が左足首から切断。
楽しかった酒が、気付いてみれば、自らの身体の一部を切断する原因になっている!恐るべき事実!
昨日(2018/1/13)未明の、京急久里浜線の事故では、電車の運転手さんは、気付いて急ブレーキを掛けたが、間に合わなかったそうだ。
このtweetに挙げた、3名の方は、恐らくアル中(アルコール依存症)ではなかったと推察する。酒好きの人が、たまたま泥酔するまで飲んでしまったのではないだろうか。
断酒を語るとき、アル中かそうでないかを、断酒が必要かどうかの判断にするようだ。
いつもビールをコップ一杯だけで済ませているとか、日本酒を1合だけで終わりにしているとか、そう言う人は、何も問題が無い。
私の考えでは、酒で一度でも己を失った経験がある人は、断酒した方が良い。泥酔したことがある人は、どんなに注意していても、また、泥酔することが必ずあるからだ。
これは、私自身の経験から、また、これまでの人生で、多くの飲んだくれを見て来て、酒の飲み方・酔い方と言うものに、その人固有の癖があって、これは直らないことを知っているからである。
一度でも酒でトラブルを抱えたことがある人が、そのまま飲み続けると、いつかきっと、
「あぁ、取り返しの付かないことをしてしまった!前回失敗した時に酒をやめておけばよかったな~」
と、思う時が来る。
それが、冒頭に挙げたように、自分の身体の一部を失うことであったり、他人の心や身体を傷つけることであったり、或いは、自分や他人の命を奪うことであった場合、時既に遅しであり、どうしようもない。
報道される泥酔による事件・事故などに接する度に、私はそれを、酒を飲み続けた場合の自分に置き換えては、ゾッとしている。
酒を断っていなかったら、この事件・事故の加害者・被害者は、自分だったのではないか?酒を飲んでいた頃、自分や他人の身体や命を傷つけたり、亡くしてしまったりすることがなかったのは、たまたま運が良かっただけだろう。
そう思って、私は自分の断酒に安堵を覚えるのである。
断酒とは、なんと安穏で平和な行為なのであろう。
ただ淡々と、酒を飲まないだけの生活が、これからも続く。
それが、実は自分にとっては、最高の暮らしなのだ。
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