昨日(2018/2/2)の記事への、小判鮫さん、小太郎さんのコメント。
実は、小判鮫さんの書かれたような思いが、のみすけの心にも、たまに浮かびつつあったことは、確かである。
アル中と言う病は治らぬにしても、酒を断っていること自体が当たり前になり、何の苦痛も感じなくなって来ると、かつての断酒に苦しんでいた自分を忘れ、最初から今のようだったと錯覚している自分がいる。
断酒に中々踏み切れない人や、飲んだりスリップしたりを繰り返している人を見て、何故出来ないんだろう?と普通に考えてしまったりする。
ふと、そのことに気付いたのが、高熱でフーフー唸って、ひたすら寝ている時だった。インフルエンザにやられて、身体は病気の真っ最中である。
こんな時は、辛い身体に連動して、心がやたら弱くなっているものだ。
熱にうなされている布団の中で、ふと、
「早く治れよ!インフルエンザなんて、心の持ちようで、すぐに治るよ!」
などと、元気な人に言われたら、一体どんな気持ちがするだろうと思った。
心身共に健康で元気な人が、病で苦しんでいる人に、「そんなの、すぐに治るよ」なんて、言うこと自体、ナンセンスなこと。
私自身が、ついつい、回復者の視点から見てしまうことが多くなって来ていることに気付いたので、常に、病者の視点で見ないといけないなとの反省もある。
今、酒で苦しんでいる人、過去に酒で苦しんでいた人は、皆同じ仲間なのである。
今、酒の苦しみから解放されて、断酒が板に付いている人も、過去には苦しんでいた。
今、酒で苦しんでいる人も、酒を断ってしばらくすれば、今の苦しみは、過去のものになるのだ。
今、断酒が順調な人も、ひとたび再飲酒すれば、あっと言う間にまた酒で苦しむことになる。
つまり、苦楽は紙一重であるから、常に、病者の視点を持つことが重要だな、と考える。
なので、ネット、リアル、どちらでも、相手は生身の人間であるから、人に接するときは、いつも思いやりが必要だ。思いあがる心には注意しよう。
そんなわけで、昨日の記事も、今日の記事も、自戒を込めて書いてみた。
辛い時、他の人がかけてくれる優しい言葉が、傷ついた心を癒してくれる。
傷に塩を塗るようなことにならないように、言葉には最大限注意しよう。
自分がかけてもらって嬉しいと思う言葉を、他の人にもかけてあげよう。
因みに、当ブログにコメント下さる方は皆さん、思いやりあふれる方々ばかりであって、私のみすけは、本当に読者に恵まれて、幸せ!
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