学校の先生は別に聖人君子でもなく、普通の人間だ。
但し、その仕事内容は、将来ある子供を教え導くことである。この辺り、きちんと自覚していない先生がいるようだ。
もちろん、教師たることを誇りに思い、子供たちを熱血指導している先生も沢山いらっしゃることは知っている。
大体、学校の先生が酔っぱらってやらかすと、ニュースになる。ここ最近でも、福岡の63歳の教頭先生の飲酒運転、香川の28歳の高校教師が酔って暴行、など、が目に付いた。
どんなに普段の酒を飲んでいない時の人柄が良くても、授業に評判が良くても、生徒に人気があっても、ひとたび泥酔して事件を起こすと、それまでに培われた諸々のことは、ガラガラと崩れてしまうのだ。
どんなに立派な聖人君子をも、一瞬にして単なる愚者に落としてしまう魔力を、酒は持っている。人間で、この酒の魔力に抗える人は誰一人としていない。何故ならば、その魔力の正体は、アルコールと言う薬物であるから。
この根本的なところを棚に上げ、飲酒によるどんな不祥事が起きていようとも、それでも酒を飲む事を大前提の上で、学校側は反省と改善の弁を述べる。
飲酒運転した63歳教頭先生の学校。
「2度とこのようなことがないよう、指導教育と同時に対策を取りたい」
酔っ払って他の人に暴行した28歳の教師の学校。
「お酒の飲み方などを注意喚起しながらこのようなことが二度とないようにしていきたいと思います」
一体どんな「指導教育と対策」及び「お酒の飲み方などを注意喚起」すれば、「このようなことが二度とないように」なるのか、是非とも知りたいところである。
断酒以外に、酒によるトラブルをゼロにする方法は、無いはずだから。
学校の先生に限らず、酒を飲む人間は誰でも、酒でトラブルを起こす可能性がある。中でも、飲み始めたらついつい限度を越してしまうタイプののんべーは、そもそも、飲む前にどんな注意を受けようとも、飲み始めたら、もうアウトなのである。
世の中、酒を飲む事が大前提なので、酒でトラブルが起こる度に、酒の飲み方を変えなければならないと言う思考になるようだ。
これは、アル中が、本来、断酒しかないのに、何とか酒を飲み続けようと、節酒やら、減酒やら、飲む日を決めるとか、機会飲酒だけにするとか、飲むための涙ぐましい無駄な努力をしているのに似ている。
酒を断たない限り、絶対に、うまく行かない。
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