ふと、毎日毎日三面記事を賑わしている、酔っぱらいによる犯罪について、思ったこと。
何故にこんなにも後から後から似たような酔っぱらいの事件が起こるのだろう。
今日酔っぱらってやらかした人も、新聞やネットでこれまでに酔った人の事件を、見聞して来ただろうに。
他山の石として、自分は気を付けようと思わないのかな。
酔っぱらってお縄になる人が後を絶たないが、他の人の事件を見聞してどう感じていたのだろう。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月6日
自分だけは大丈夫って、思っていたんだろうな。(←私がそうだった・・・)
飲み過ぎて大丈夫な人なんていない。
アルコールの薬理作用は、麻酔と同等。理性を司る脳がマヒしてしまうと、何をしでかすか?
自分も気を付けなければ、とは思わないのだ。
自分だけは 、他の人と違う。自分だけは、大丈夫、と、根拠の全く存在しない、わけの分からない自信で、「自分だけは大丈夫!」と確信しているのだ。
こう言った人は、アル中であることを認めない人かもしれない。
「自分はアル中ではない!」
自分は、他の飲んだくれとは違う!確かに酒は好きだけど、絶対にアルコール依存症なんかではない!
実は歴としたアル中なのに、認めたくない、認めない心理は、手に取るようにわかるのだ。何故ならば、自分がそうだったから。
私が飲んだくれていた頃、アル中(アルコール依存症)とは、酒を片手にフラフラあるいて、その辺の道端に倒れこんでいる、ヨレヨレの爺さんのことで、自分は絶対に違うと思っていた。
それが、断酒を決意した日、つまり一夜にして、自分は酒に問題があり、断たねば今後の人生は無いことを悟った。この時は、アルコール依存症に関してのきちんとした知識は無かったけれど。
自分だけは大丈夫などと言うことは絶対に無くて、自分も、その辺にいる飲んだくれと全く同じであって、一歩間違えば、犯罪の加害者か被害者に十分になり得るのである。
これが分かると、酒を飲んで酔うことが怖くなる。
何故ならば、酔ってしでかすことの諸々は、自分の脳に記録されていないからである。記録されない、つまり、記憶を呼び戻すことすら出来ない。
ブタ箱で目が覚めて、お巡りさんに、
「あなたは、昨夜人を殺しましたよ」
と言われても、自分の記憶を辿れないから、何とも返答出来ない。
自分だけは大丈夫、ではなくて、飲んだくれの自分だからこそ危ない、のである。
こう言ったことを考察するに、私は断酒し、それが継続していることが、心から嬉しいのである。
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