酒は適量を楽しむならば、良いもの?!
ブログやTwitterで、酒の害について吠えていると、
「酒は害ばかりでは無い!それを証拠に、適量で楽しんでいる人のほうが多いではないか!」
との意見を頂くことがある。
酒は少量でも人体に有害であるとの、イギリスでの研究結果について、つい最近ブログに書いた。
そのことを度外視して、百歩どころか百万歩くらい譲って、適量の飲酒には良い面があるとしよう。
私が断酒6年目にして漸く分かったのは、酒は飲む人を選ばないと言うことだ。
酒売り場へ行けば、和洋とりどりの酒が棚に陳列されている。飲まれる酒の方から、買い物かごに飛び込んで来るわけではないが、誰でも好きな酒を買えるという点で、酒は人を選ばない。
酒を飲む人に二通りあって、これまでも今もこれからも・・・
何ら問題なく飲める人、と、
飲酒に問題だらけの人。
つまり、酒を飲んでもいい人と、酒を飲んではいけない人がいるわけ。
こんな単純なことが分かるまでに、随分と時間がかかったものだ。
酒の宣伝ポスターの下の方に小さく書いてある、
「お酒は適量を楽しく飲みましょう」
みたいな言葉がある。
そもそも、これは誰に言っているのだろうか。
適量を楽しく飲める人は、言われなくてもそうしている。
問題は、そんな飲み方を出来ない人の存在である。
適量を楽しく飲めない人に、適量を楽しく飲めと言ったところで、何の意味もないのである。
酒は飲む人を選ばない。
飲む側が、自分自身のことを分かる必要があるのだ。自分は酒を飲んでもいい人なのか、飲んではいけない人なのか。
私の考えでは、一度でも酒が原因でトラブルを抱えたことのある人は、飲んではいけない人である。
それと、飲んでいい人であっても、50歳を迎えたら、無条件に酒を卒業したほうが、残りの人生に大いにプラスになるだろう。
アルコール入り飲料である酒は、飲む人に多大なるリスクを負わせる飲み物なのである。その主成分アルコールは、誰の口にも入るし、誰の脳にも作用する。
酒は、飲む人を選ばない。
飲む側が、酒を飲むか飲まないか、どちらかを選ばなければならない。
はっきりと、確信を持って言えることは、酒を飲まない道を能動的に選んだ人は、今後の人生、安全であり、明るい。
少なくとも、酒に起因する害で、自分が主となって何か問題を起こしたり、誰かを傷つけることは無いからである。
今日のtweetをいくつか並べておく。
酒飲んでやらかすことのリスクを考えると、一時的な脳内のお花畑を追い求めることは、愚の骨頂であることが歴然としている。築き上げるのに何十年も掛かった信用が、アルコールに支配された脳による醜態で、一瞬にして崩壊してしまう。多くの人は、あまりにも気軽に酒を飲み過ぎ、リスク管理をしない。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月25日
アルコール依存症でなくとも、酒を飲む行為は、普通の人をいとも簡単に犯罪の加害者にも、被害者にも仕立て上げる危険性をはらんでいる。それを証拠に、酒がらみの事件・事故の報道されない日は無い。合法的に売られている酒から身を守るには、断酒或いは不飲酒の道しか無い。酒には表と裏の顔がある。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月25日
今日一日、酒飲まなきゃいいことあるよ!
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月25日
飲んで酔っ払ってしまうと、いいことあっても気付かないし、覚えてないでしょ。
シラフなら、どんな小さなことも目に入り、耳から聞こえる。道端に咲いてる雑草の花を見ても、その健気さに感動するからね。
酒に汚されてない頭で、いいこと一杯見つけよう!
酒は大人の飲み物ってことだけど、本当は、医師の処方が必要な薬と同列の、薬物(アルコール)なんだよなぁ。薬は、年齢や体重によって、投薬の量が決められている。過剰に投与されると、重大な障害を及ぼす。酒の飲み過ぎは、薬の過剰投与と同じこと。しかし、何に効く薬なんだかね??アルコールは。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月26日
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)