読者の方(Dさん)から、次のような内容のメールを頂いた。
----------------------------
断酒を続けて来ましたが、諸々の人生のストレスに疲れました。
ちょうど、このゴールデンウィークの休みに、飲み会にさそわれているので、一度だけ、自分へのご褒美に、飲もうと思ってます。
----------------------------
メールの最後の方でDさんは、これは飲むための言い訳であり、自分に都合のいい理由に過ぎないとも書いていらっしゃる。
それを読んで、私が察したのは、ああ、これは、飲酒を正当化しようとしている自分を止めてほしいのだと。
それで、Dさんには、飲んではダメです!と、返信のメールをした。
これについて、昼間、ふたつtweetした。
断酒している人から「~なので一度だけ飲みます」みたいなメールをたまに頂く。その「~なので」は、再飲酒するためのこじつけだと、自分でも分かっていながら、私にメールを下さるようだ。内心は(止めてほしい!やめろ!と言ってほしい・・・)のだと察する。だからいつも「ダメです!」と返信する。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月28日
酒の二面性。自分で酒量をコントロール出来る人には「ご褒美」でも、野放図に飲んでしまう人には、「💣爆弾」である。片や、お疲れさん!さあ飲もう!だが、こなた、飲んでも飲んでも飲んでも飲んでも終わりがなく、導火線をじりじりと炎が伝わり、必ずや、ドッカーーーンと、大爆発を起こすのである。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年4月28日
Dさんのように、酒を、頑張った自分への《ご褒美》としている人がいる。私もかつての飲んだくれ時代、何かにつけては、それを飲む理由にしていたものだった。
だが、考えてみると、これは矛盾してはいないだろうか?
何らかの問題があって断酒していたはずだ。酒は、健やかな人生を送る上では、《お荷物》な存在だったのではないのか。
ある時は《お荷物》な飲み物が、ある時は《ご褒美》になるって、これはどう考えてもおかしいし、屁理屈に過ぎない。
酒は、《ご褒美》などには絶対になるはずもなく、それどころか、私たち飲まないアル中にとっては、《爆弾》なのである。
せっかく断っていたのに、一度でも飲酒を再開すれば、それが引き金となって、飲酒欲求が解放されて、浴びるような飲酒の大爆発を起こすのだ。
それによって、閉じ込められていた飲酒の悪魔が、一気に勢いを取り戻し、かつての連続飲酒のアル中に戻ることは、論を待たない。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)