生来が無精で、縦のものを横にもしない私だが、この断酒ブログだけは、続いている。
私の日々の断酒ブログ更新の根底にあるのは、自分が人生の半分以上を奉げてしまった酒に対する、反感である。
自分の酒の問題に気付いた人と、この思いを共有し、共に酒をやめた生活を楽しむことが出来ることが、実現しつつあり、嬉しい。
さて、ブログは一日に一記事、その日の思いを綴る。一方、字数に制限のあるTwitterは、何か閃いた時に、すぐにそれを言葉にして発信出来る。
今日は、ある方から、リプライを頂いた。
フレがアルですが、見守る方はキッツいです>< ただ遠くから少し距離を持ってで見守り続ける…。出来るのはそれだけ…。。。妻と子も離れてしまい、人生を揺るがしかねない大事故をお越し…それでも酒を辞めてくれないです…(T_T) 心配だけが空回り… https://t.co/WfiqRzBYt3
— 全国自分に自信を持って生きる会 (@PomupoPopomu) 2018年5月10日
友人が、家族からも見放され、異常な飲酒のドツボにハマったまま、悪化してゆくのを見守るしかない、歯痒さ。
飲んだくれている人に、どんなに声掛けして、酒をやめるように説得しても、それは九分九厘受け入れられない。
気付いた自分が断酒することは出来るけれど、気付かない他人を断酒させることは出来ないのだ。
そうかと言って、アルコール依存症がどんどん重症化してゆく人を放っておくことも出来ないからと、面倒をみたり、世話を焼いたりすれば、その行為はイネイブリングであり、自分はイネイブラーになってしまう。
昨日も書いたけれど、本人の自覚がなく、家族や周囲の人に無理強いされて入院治療を受けたアル中の回復率は、かなり低いそうだ。
「馬を水辺に連れて行くことは出来ても、水を飲ませることは出来ない」
でももし、馬の喉が渇いていれば、水を飲む。
「アル中を病院に連れて行くことは出来ても、酒をやめさせることは出来ない」
この場合も、もしアル中本人が酒をやめたいと願うなら、やめられるかもしれない。
アル中本人に、どうしたら自分の病気を自覚し、認め、酒を断つ他に道がないことを悟ってもらえるのか?
私が読んだ本には、アル中の酒が切れたころを見計らって、家族だけではなくて、会社の上司とか、親せきの人とか、近所のご隠居とかの第三者にも入ってもらって、何度もアル中を囲んで話し合いをするしかない、と書いてあった。
この方法は、どうなのだろうか。
私は、飲んだくれ時代、家族に見守られる立場だった。
が、酒をやめてから、かつての自分を思い出し、断酒の難しさを痛感している。
アル中本人が、雷に打たれたようにハッと気付く、画期的な方法は何かないだろうか。
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