「人を見たら泥棒と思え 」は、聞いたことがある。
他人を軽々しく信用せず、まずは相手が泥棒だと疑ってかかるくらい用心しろということだそうだ。
酒を軽々しく信用して、飲んでいたのは誰だ?
本当は、かなりの用心をして飲まなければならない飲み物だった。
飲んでいた当時は、そんなこととは露知らず・・・
「酒を見たらアルコールと思え!」
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年5月11日
私の場合。心の中で嫌酒を毎日続けていたら、ある日、酒を見ると吐き気を催すようになった。どんなにカラフルなパッケージの酒でも、中身は全てアルコールに見えて、不快感が込み上げて来るようになった。これは、断酒には最高の気分!アルコールは、人体には毒だ!
酒をやめたいなら、酒を酒と思ってはならず、酒はアルコールだと言うことを、よくよく自分の脳に分からせる必要がある。
でも、やめた当初は、酒を見るとヨダレが出てしまうことだろう。これは、私が体験していることなので、とても良く分かる。
人間、そんなにあっさりと、嗜好物を嫌いになれない。それに、対象が、長年慣れ親しんできた酒だもの、ねぇ。
だからこそ、酒の正体はアルコールであること、また、アルコールが薬物としていかに人体に有害であるかを、あらゆる角度から、学習することが必要なのだ。
何しろ、酒の良い点を調べると、やれストレス解消だの、Jカーブだの、リラックス効果だの、コミュニケーションツールだのって、何の根拠もない、抽象的なものばかりだ。
これらは、酒なんぞなくても、適えられることばかりではないか。
逆に、酒の悪い点を調べて見ると、びっくりするだろう。掘っても掘っても、ザクザク出るわ出るわ、これでもか!と、酒害の山である。
そして、それら酒の悪い点は、酒ならでは、酒以外ではあり得ないことばかりなのだ。
アルコールが原因のあらゆる疾病、もちろんその中にはアルコール依存症も含まれる。
酒酔い運転による、事故。これにより、尊い人命が失われる。
酔っぱらいによる、喧嘩、セクハラ、アルハラ。
そして、ひとりのアル中の周りには、家族を含め、それに人生を振り回される被害者が何人も存在する。
全ての原因は、酒の主成分・アルコールにあるのだ。アルコールは薬物である。本来は、人体に対して、どのくらいなら量的に問題がないのか、厳密な値があるはず。
だが、飲み物としての酒には、飲む量の上限などない。飲む人それぞれ、好き勝手に飲みたいだけ飲む。
私は、酒を見たらアルコールと思っているので、たった1滴のビールでさえ、オェーーーッと言う感じだ。
☆☆☆
今でこそ、酒を見たら、オエーーーッなんて言っているけど、断酒77日目は、酒を愛してやまない、まだまだ恋焦がれていた、おっさんでした!
久しぶりに、音読UP!お時間ある方は、聴いてみて下さいね~(^o^)/~~~
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