断酒して何年も経つと、酒にまつわる人間感情と言ったものが良く見えて来る。
私とあなたが、会話をして、意思の疎通を図るとした時に、どちらかが、或いは両方ともに酔っぱらっていたら、どうだろう。
その時は何となく話が通じたような気がしても、酒が醒めたら思い出せない、覚えていない。酔っ払いなど、えてしてそんなもの。
きちんとした会話は、両者が素面であって初めて成立する。
酒を飲む行為は、人間を人間たらしめている【理性】を、わざわざ薬物アルコールによって放棄することである。
【理性】とは、
道理に従って判断したり行動したりする能力。
善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。
【道理】とは、
物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。
今日もニュースに、昨日夜、三重県の59歳の課長が、酔って電車内で大声を上げ、ホームの駅員に暴行を働いたと出ていた。
このアホな課長は、「そんなことはしていない」と、容疑を否認しているそうだ。
これを受けて、tweetひとつ目。
酔っ払ってとっ捕まった奴の決まり文句。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年6月13日
「記憶にない」
「覚えてない」
「そんなことはやってない」
時間帯は夜間、舞台は電車、駅、車、登場人物は、中高年のおっさん。
これだけで、ほぼ100%酒絡みの事件。しかも、素直に罪を認めない。
まあ、アル中は否認の病だから、肯定するわけないか😆
tweetふたつ目。
飲んだくれは、アルコールの身体への作用機序を知らない。脳がアルコールに麻酔されていることすら知らない。酔っている時も、意識はあると勘違いしている。だから、罪を犯しても、自分がやるわけが無い、と、あっさり否認する。自分がやったのなら、覚えているはずだ、って感じかな。学べ飲んだくれ!
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年6月13日
どうだろうか。
私の、今日のブログタイトルに込めた思いは、アルコール依存症かどうかになど全く関係なく、私たちはいつも誇りを持って生きて行こう、と言うことだ。
もし、誇りもプライドもぶん投げて、堕落したいと言うなら、酒を飲めば良いのだ。酒は、自分が本来持っていたはずの【理性】を、いとも簡単に捨て去る手伝いを、忠実にしてくれる。
飲んで酔えば、酒の主成分の薬物・アルコールが、その薬理効果をいかんなく発揮し、【理性】を司る大脳を麻酔する。
これで、【理性】は失われる。それによって、人は、何をしでかすか分からない上に、そのことを、記憶すらしていないのだ。
理性を失いたいなら酒を飲め!
人間でいたいのなら断酒せよ!
このことである。
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