普通は、何かあるから幸せなのかな。
お金がある、愛情がある、家族がある、車がある、仕事がある・・・
これらを称してアル幸せとでも呼ぼうか。
(お気づきの通り、アルには、アルコールのアルも含まれている!)
今朝、私は、ある方のブログを読んでいて、ほほー!と目からうろこが落ちた。それで、tweetした。
たまたま読んだある方のブログに、ないことの幸せを感じよう、と書かれていた。なるほどねぇ。あることじゃなく、ないこと。私で言えば、酔ってない、財布を失くしてない、頭が痛くない、身体のどこも痛くない、家族に迷惑かけてない、記憶が飛んでない・・・なんだこりゃ、酒に関係することばかりだ🤣
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年6月21日
そう言えば私は毎朝、ナイ幸せを感じている。
かつては、アルコールがアル幸せを感じ、それを日々満喫して過剰飲酒にふけっていたわけだが、あれは、幸せと言う名の不幸だった。
私ぐらいの年齢になって来ると、若いころのような物欲は消え失せ、煩わしいことや体の不調などが、ナイ幸せが嬉しいのである。
アル幸せの代表格だった、酒がアル生活。これ、実は、酒がアルことによって、家族の不満がアル、自分の不調がアル、失態がアル、その他、飲酒に付随する色んな害悪がアル。
ナイ幸せに気付き、実感し、感謝することも、とても素晴らしいことである。
さて、ここで話が変わる。
断酒を始めた頃、かなり多くの、アルコール依存症やら断酒やらのブログを探して、読んでいた。
中でも、ご主人がアルコール依存症で、恐らく共依存と思われる奥さんが書いているブログがとても気になって、これまでずっと継続して読んできた。
ご主人がほぼ私と年齢が同じなのである。
更新頻度が少なく、大体ひと月に1記事なので、たまにチェックするくらいだった。
このブログ主のご主人は、医療機関の診断でアルコール依存症であり、何度も入院し治療を受けておられた。だが、退院すると再飲酒、また暫くして入院の繰り返しで、晩年は、アルコール依存症だけでなく、色んな病気を発症し、それでも断酒することは出来ず、飲み続けた。
今日、そのブログを見に行ったら、ご主人は最近亡くなったと書かれていた。
飲み続けるとどうなるのか。
私がとても学ばせてもらったブログだった。
共依存であることを自分で分かっていながらも、愛するご主人から離れることなく、その死に至るまで添い遂げたブログ主を、私は素晴らしいと思った。
飲んだくれを貫いてあの世へと旅立った男と、最後まで面倒を見た女。
そういう夫婦は、世間にいくらでもあるのだろう。
それにつけても、憎きは、アルコール依存症という病。
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