「人は酒のみにて生くるものに非ず」
これは、イエス・キリストの言葉として有名な、
「人はパンのみにて生くるものに非ず」
の「パン」を「酒に」変えてみた。
人生の中心が酒になってしまい、そのことに疑念が生じ、これではいけないと思いつつも、酒から離れられない人がいる。
飲んでしまったとか、やめられないとか、助けて下さいとか、悲鳴のようなメールが真夜中に届いていることがある。
私は、早寝早起きなので、朝、パソコンを立ち上げた時に、そのようなメールに気付くことがある。
酒を飲みながら、酔っぱらいながら、それでも酒をやめたい気持ちが、アルコールによって高ぶり、誰かに頼れば何とかなるかもしれない、と、すがるような気持ちでメールを書いているのだと思う。
もし、その時、私がその方の隣にいたとしても、何も出来ない。他人の飲酒を止める魔法はないからである。
こんなシナリオを書いて、ドラマのワンシーンとして、撮ることは出来る。
酒を断ちたいけれど、出来ない人が、私に助けを求める。
私は、その人の耳元で、魔法の言葉を囁く。
その人の表情がパッと明るくなり、飲酒がピタリと止まる。
実際のところ、飲酒がピタリと止まる魔法の言葉があるなら、私が教えてもらいたい。
そんな思いがあって、上記のことを、tweetしたら、ある方から、とても分かりやすいリプライがあった。
「誰かに助けてと頼る事自体は悪いことじゃないけど、自立する気ありきの話ですもんね。他人の所為にしたり、他人になんとかしてもらおうという考えが中心になりがちな時期は、まだ本気で止める覚悟に至っていない気がします。」
断酒は自らの気付きと決断で、なおかつ自分自身でするものなので、神様にでも仏様にでも、助けてもらうことは出来ない。
神様仏様は、祈れば、応援はしてくれると思うけれど・・・
もうひとつ、今日tweetしたのは、
「断酒の苦しみに二つあって、飲みながら断てない苦しみと、断ってから飲みたい苦しみ。同じ苦しむなら、どっちの苦しみを苦しむのが、良いのか。それは、後者に決まっている。」
酒を飲みながらも、断てない苦しさより、酒を断ってから、飲みたくて困る苦しさを選ぶ人を、私は応援したい。
酒なし人生を、自分で選ぶこと。
自分の人生から、酒を排除すること。
医療機関や自助の会に助けを求めること。
酒をやめたいならば、自分で積極的に動いて、断酒に役立ちそうなあらゆるものを試してみるくらいの気概が必要だろう。
「人は酒のみにて生くるものに非ず」
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