断酒当初の大いなる勘違い、飲める自由、飲めない不自由。
これがなぜおかしな話か、簡単に分かる。
今すぐある地点まで行かなければならないとして、酒を飲んで酔っ払っている人と、全くの素面の人と、どちらの人が自由自在に動けるだろうか。
素面であれば、車、バス、電車、新幹線、飛行機、何でも御座れ。利用できる乗り物で、目的地に一番ふさわしいものを選んで、最短時間で到達出来る。
これを酔っ払いに当てはめてみると・・・
大体にして、先ず、酔っぱらいは、目的を理解できない。できたとして、車の運転はできない、普通の乗り物は、乗った時点で寝てしまう。精々が、タクシーに乗って、目的地を告げるくらいが関の山。
たったこれだけの考察で、酒を飲むことが、己の人生に如何に枷となり、自由さを奪っているかが分かるだろう。
私も、断酒当初は、酒を飲めないことは不自由であり、不幸なことだと、大いなる勘違いをしていた。美味そうに酒を飲んでいる人が羨ましくて仕方なかった。
今でこそ自分の断酒スタイルにぴったりだと思うブログタイトル、
「酒をやめてhappyになろう!」
は、当時の自分の、たぶん中々叶わない、高嶺の花である、願望を表現したものだった。
酒を断つことが、実は、真の自由を手に入れることに直結する行為であることは、断酒期間が1年を過ぎた頃、分かって来た。
何と自由なんだろう。
朝から、自分の思い通りに動ける。
昨夜の飲酒行動を悔いることがない。
酒のことを思って、心が酒で占有されることがない。
酒を買いに走ったり、酒が無くてイライラすることがない。
一日の生活の中で、酒に行動を支配されることが全くない。
これを、自由と言わないで何とする。
断酒して間もない方が今、酒を飲めないことを、不自由だとか、惨めだとか、もし感じているとしたら、これまで述べて来たように、それは、大いなる勘違いである。
酒をやめると、酒から解放されて、真の自由が手に入る。
このことを、今日はお伝えしたかった。
好きで酒を飲んでいる人たちは、私たち断酒erを見るととても気の毒な気持ちになり、ノンアルを勧めて来たり、少しなら飲んでも大丈夫だよ、と、無責任な再飲酒を勧めて来たりする。
ところが、私たちからすると、これは、全くの反対であって、酒を飲まないことが、私たちを酒から解放し、自由にしているのであって、酒を飲むと不自由な世界へ逆戻りしてしまうのだ!
この辺り、現役の飲んべー共には、理解不能であることだけは、間違いない。
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