ネットでのミーティングを通して、最近分かったこと。
それは、酒の正体。
これまでも、酒の正体については、何度か文章にして暴き出そうとして、書いている。
酒の正体を文章で書けば、
「酒は毒であり、合法的と言うだけで、コカインやマリファナなどの依存性薬物と何ら変わることがない。」
と言ったところだろうか。
この辺りが、酒の正体なのだが、この文章を何度読んだところで、酒の正体を体得することは出来ない。
酒はそう簡単に正体を現さない。
何度も何度も酒について仲間と議論する内に分かって来たのは、これが酒の正体だ!と、誰もが納得できるような定義は、無いこと。酒の正体は、個人個人が自分で自分なりに体得するもの。
何だか、禅の悟りに似ているような気がする。
禅では「不立文字(ふりゅうもんじ)」とか「教外別伝(きょうげべつでん)」と言って、言葉や文字によらず、その体験を心から心へと伝える。
断酒仲間と話していると「そうそう!」とか「それ!」とか、自分たちを苦しめて来た酒の正体について、言葉や文字での表現ではなく、通じてしまうことがある。
酒の正体を体得した人は、話してみると分かる。酒に未練を持たない。酒の本質を理解している。つまり、自分にとって酒とは一体何か、それが分かっている人である。
準備期間を経てからでも、私のようにいきなりでも、とにかく断酒に踏み切った人は、先ずは酒の正体については、不明であって、断ったにも関わらず、ただただ酒に恋焦がれてしまっている自分に戸惑うことだろう。
一日一日の断酒を繰り返し、かつ、酒害を学び、更に、自助グループやその他で、断酒について語り合うことによって、酒の正体をつかむことが出来る。
私も、断酒ブログを書き続けただけでは、今の段階には来れなかっただろう。コメント欄やメールでのやりとり、オフ会で仲間に会ったこと、そしてここ最近のネットミーティング、これらの相乗効果で、増々断酒が楽しいものになっている。
酒の正体はこれだ!と、誰が読んでも納得できる3行くらいの文章にまとめられれば素晴らしいことだと思うが、出来ない。
もし出来ても、人が書いた文章を読んだだけでその正体が見えるほど、酒は甘い存在ではない。
時間と労力をかけて、自らの頭に、少しずつ酒の正体を暴きだす努力をすれば、きっといつの日か、酒の正体が体得できる。
酒の正体。分かった上で飲むならば、問題はない。
問題なのは、何か良く分からず飲み続けること。
正体不明の人とずっと付き合う人はいないが、正体不明の飲み物を一生飲み続ける人はいる。
酒が正体を現しても、それに気付かない人もいる。
酒が正体を現して、それに気付いても、認めない人もいる。
気付いて、地団太を踏んで悔しがる人もいる。
私は、断酒後暫くして酒の正体を悟った時、地団太踏んで悔しがった!
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