何かに依存してしまう病。
中でも、私が患っているのは、アルコール依存症。
アル中とか、アルコール使用障害とか、他の呼称もあるけれど、あまりしっくり来ない。
病名としての「アルコール依存症」は数えきれないくらい、耳にし、私もあちこちに書いた。
が、そもそも、依存とは、何だろうか。
アルコール依存症の「依存」を、改めて辞書で引いてみた。
依存・・・あるものに頼って、成立または存在または生活すること。
アルコール依存症とは、アルコールに頼って、私が成立し、存在し、生活している病である。
今は飲んでいないし、頼っていないので、もう病を克服したのかと勘違いしそうだが、この病は、治らない。このことを自覚し、原因物質(アルコール)を徹底的に生活から排除する生き方を続けるしかない。
こう考えると、今は全く酒に頼っていないのに、酒に頼って成立し、存在し、生活している病が癒えていないと言うのは、おかしいではないか。そんな疑問が湧く。
この辺りに、ひょっとしたらもう治って、酒をコントロール出来るかもしれない、と言う考えに支配され、実際に飲んでしまう人がいる理由があるような気がする。
長らく酒を飲まずに、つまり酒に頼らずに生活出来ている自分は、アルコールへの依存から解放されたのではないか、もう依存していないのだから、飲んでも大丈夫ではないか、そんな気になってしまうのだろう。
病が酒を断ち続けても癒えないと言うことは、もう、酒に頼っていないのに、つまり一滴も酒を飲んでいないのに、酒に頼っていると言うことなのか?
さあ、この矛盾をどう解けば良いのか。
私はこう考える。
アルコールに依存する病は、一度罹患すると、その人の中で固定されてしまう。病としては、いつでも発症OKの準備が出来ている。
これの発症するトリガーは、体内へのアルコールの流入、飲酒である。身体がアルコールを検知すると、忘れられていた依存が呼び起こされる。
つまり、アルコールへの依存は、私の体内では、いつでも発車準備OKの車と同じ状態なのだ。酒を断っている限り、ギアはニュートラルでかつブレーキを踏んでいる状態なので、進まない。
ところが、ひとたび酒が身体に入ると、スタートフラッグが振られ、ギアのシフトチェンジとブレーキからアクセルへの踏みかえが同時に起こり、アルコール依存号が急発進するのだ。
アルコール依存号は、私の体内で、いつでもスタート出来る状態で待機しているのである。
こう考えると、酒を断っているにも関わらず、酒に頼って存在している私の、矛盾が解ける、かな。
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