昨日の記事の後半部分に関連して、今日は、書いてみる。
酒を断てば、少なくとも飲んだくれていた頃よりは、人格は向上すると思うがどうだろう。
私は自分の経験に基いて、このことだけは、はっきりと自信を持って言う。何故ならば、それまで己を支配していた、悪魔の液体アルコールを完全に体内から除外するからである。大脳が正常に動作するからである。
だが、断酒が全てを解決するわけではない。
断酒しても「困ったちゃん」な人が存在する。
『困ったちゃん』とは・・・
《俗語》自分勝手な発言や行動で周囲の人をうんざりさせているのに、自分ではそれに気づいていない人をいう。(出典:デジタル大辞泉)
実に的を射た説明である。困ったちゃんの説明部分を抜き出してみる。
「自分勝手な発言や行動で周囲の人をうんざりさせているのに、自分ではそれに気づいていない人」
《断酒しても困ったちゃん(略称DK)》は、最初は見分けが付かない。私がこのブログを書き始めて以来約5年と5か月になるが、その間に実際に何人かのDKに出会っている。
DKは、DQN(ドキュン)でもある。WikipediaにあるDQNの説明の中の「軽率そうな者や実際にそうである者」「非常識で知識や知能が乏しい者」が、当てはまる。
DKに纏わり付かれると、せっかく断酒しても、その爽やかさが半減してしまう。DKは、自分が断酒していること、この一点のみに於いて、自分も爽やかな断酒仲間の一員だと錯覚している。
それでは、DKな人の特徴を・・・
その1.相手を思い遣る心が欠けている。
その2.自分の意見ばかり主張する。
その3.自慢話が多い。
その4.相手が傷つくことを平気で言う。
その5.自分の断酒が正当で王道であるかのようなことを言ったりする。
その6.スリップした人を揶揄する。
その7.特定の人に執拗にメールやLINEをする。
その8.自分が周囲から浮いていることに全く気付かない。
子供でも大人でも、相手を思いやることの大切さを知っている人は、心優しい。DKは、アルコールの影響に関係なく、酒を飲んでも飲まなくても、元々が《困ったちゃん》だったのだ。だから、断酒しても、変わらない。
私は、DKな人は断酒の仲間とは思わない。断酒仲間に不愉快な思いをさせるDKは、酒と同様に徹底的に嫌う。
断酒に関係なく、人と人は、互いに相手を思い遣ることが大切である。友達、夫婦、兄弟姉妹、職場、サークル・・・どんな集まりだって、それを構成している最小単位は、生身の人間なのだ。鉄のような心を持っている人などいない。
その場では平気な顔をしていても、たったひとつの言葉に傷ついて、家に帰ってから泣いているかもしれない。このことが分かる人、そんなことを考えられる人が、私の真の断酒仲間である。
《断酒しても困ったちゃん》て、ひょっとして自分のことか?などと、思う人もいないだろうけれど、これを読んで下さっているあなたでないことは確かなので、ご安心を(笑)
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