酒が原因の事件・事故が毎日起きている。
直近では、代行運転の運転手が飲酒運転で捕まったとか、泥酔してパチンコ店に入って痴漢を働いたのに、全く記憶にないとか・・・
飲酒運転を初め、痴漢やらセクハラやら、酒が原因の事件・事故が起こると、その容疑者の発言は、ほぼ決まっており、
「やった覚えはない」
「酔っていて記憶にない」
などだ。
そして、それらの事件を報道するマスコミは、飲んだ容疑者が全て悪いとの論調である。
もし、酒ではなくて、これが覚せい剤や麻薬、大麻その他であったなら、それを使用した容疑者だけでなく、その入手経路をしつこく暴こうとするのが、マスコミだ。
一体売ったのは誰なのか、どこから手に入れたのか、仲間はいないのか、等。
非合法のそれらの薬物と作用は大して変わらないのに、アルコールは合法と言うだけで、酩酊状態による事件・事故の原因物質であるにも関わらず、追及を免れている。
飲み過ぎてやらかした人は責められるが、その原因となった酒なる飲み物に関しては、全くお咎めなしである。
私はつくづく感じているのだが、社会は、酒がそうさせたことを、見えないようにしており、隠そうとしており、飽くまでも飲んだ本人の責任が100%であるとの方向へ持って行こうとしている。
つまり、酒を擁護しているわけだ。
このことの矛盾を分かっているのは、我ら断酒erだけである。
社会が追及しなくても、我ら断酒erは、どこまでも、とことん酒の責任を追及する。
単に飲まなければ良いだけではないのだ。断酒していても、飲んで酔っ払った人の起こす事件・事故に巻き込まれることはあるからだ。
酒を飲む人が全て、ほろ酔い程度の飲み方の人であれば、世の中に飲酒の問題は起きない。或いは、戦時下の配給制度のように、容易には酒を入手できない環境であれば、矢張り飲酒の問題は起きないだろう。
だが、現代はそうではない。この危険極まる飲み物=酒は、日本全国どこでも、24時間手に入り、どれだけ買おうと、どれだけ飲もうと、二十歳以上の大人であれば、何のお構いなしである。
社会が追及しないのであれば、私たち断酒erひとり一人が、鋭い観察眼でもって、酒そのものに追及の目を向けよう。
もちろん、酒を飲まないための個人的な追及で良い。間違っても酒好きな人に、酒の問題点などに言及してはならない。
一番いいのは、断酒er同士の会話やコメント、メールなどのやりとりの中で、酒を追及しつつ、断酒の糧にすることである。
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