先日ふと書いた「ワインを極たまに味見程度に飲む」人の件で、コメント欄が賑わっている。
何度も書くけれど、そういう方もいらっしゃり、断酒仲間も千差万別、ひとりとして同じ人はいないことを、私は伝えたかっただけである。
私はブログで断酒を日々発信しているわけだが、ひとつ断わっておくと、飽くまでも、個人の考え方を縷々述べているだけだ。私は、医療機関や自助の会の出先機関でもないし、代弁者でもないからである。
このブログに集って下さる人も、断酒を志向する集団を形成していることになる。けれども、宗教ではないので、集団で同じ認識を持つことは不可能と、私は考える。
また、宗教のように、個人の断酒に関して厳密に色々な定義をしてしまえば、弊害をもたらすだけだろう。
次に述べることは、単に例に過ぎないので、予め断っておく。
例えば、ノンアルコールビールを飲みつつ断酒している人がいるとして、ノンアルコールビールを飲んだら断酒ではない、などと言われたら、その人の断酒に甚大な影響が及ぶ。
私も何度か失敗したのだが、次のようなこともある。
アルコールが入っているとは知らずに食べてしまった、ケーキやアイス、漬物などにしても、微量でもアルコール入りのものを摂取したなら、そこであなたの断酒は終わりだ!などと、あなたの信奉する断酒の集団で、断酒の定義が成されていたとしたらどうだろう。
断酒は、個人的なものだ。
つまり、断酒は「個」「孤」であること。先日のブログでお伝えしたかったのは、これである。
確固たる個を己の中に持てば、
「飲む人は飲め我は関せず」
になるのである。
逆に、自分の考えを持たないと、断酒が揺らいでしまう。
飽くまでも個人が、自分の断酒を守ること、これが重要なのだ。
私が書いた真意は、個々人が自分で自分の断酒を理解し、自分で決めて、自分で守ると言うこと。決して集団で行うものではないと言うこと。
集団で出来ることは、励まし合いである。
断酒会に関して言えば、例えば、今、メルマガで扱っている「断酒学」の村田先生も書いておられる。
『断酒会は断酒を志向する個人の集団であって、断酒会があって集団で断酒しているのではない。』
このブログに集って下さる断酒仲間も、断酒を志向する個人の集団であって、このブログがあって集団で断酒しているのではないことは、当然である。
なので、断酒に関しては、次の条件を満たしているだけで、仲間である。
☆かつての飲んだくれが、今は酒を断っている
私は、断酒に関しての色んな意見や考え方を全て受け入れる。
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(断酒仲間のぽるぱるぺるさんから、頂いた情報です。)
☆アルコール依存症が地上波ドラマに!
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