回復したアル中たちの口から良く飛び出す言葉に、
「底付き」
がある。
飲んだくれている最中で、酒を断つ気の全く無いアル中には、もちろん「底付き」など無い。ひたすら、どん底へと堕ちているだけだ。
私は、酒を断ってからアルコール依存症について学んだので、当初はこの《底付き》を知らなかった。
学びの中でこの言葉が出て来た時、自分の「底付き」経験は、断酒を決意した日の前夜から明け方に掛けての出来事だったと悟った。
但し、底付きに関しては、次のことが言える。
断酒に至る人が、全員底付きを経験するわけでは無い。
また、経験した人の底付きが、おしなべて同じ、などと言うことは無い。
底付きを経験してないと、断酒がホンモノではない、などと言うことは無い。
断酒前の飲酒に関して、飲み方、量、酩酊の状態、家族環境等々、人それぞれだろう。
以前にも底付きについて書いたことがあった。興味ある方は、リンク先をお読み頂きたい。
底付きが、有っても無くても、自分の問題飲酒に気付き、断酒 している人はいる。
例えば、次のような3人の断酒erがいるとする。
Aさん(♂:50代)⇒飲酒歴30年以上。毎日の大量飲酒で、肝臓を傷めた。専門病棟に入院してやめた。
Bさん(♂:30代)⇒飲酒歴15年。機会飲酒で、たまに酩酊し、家族に迷惑を掛けていた。自力でやめた。
Cさん(♀:40代)⇒飲酒歴10年。キッチンドリンカー。量は缶ビール2本程度だが毎日飲酒。自助の会に入ってやめた。
Aさんから見たら、Bさん、Cさんの飲酒など、屁の河童、取るに足りないと感じ、やめる必要など無かったのでは?と真面目に疑問に思うかもしれない。
Bさんから見たら、同じく、Cさんの飲酒は可愛いものかもしれない。
だが、Cさんにして見ると、酒を断つことはかなりの困難であったのだ。
私は、Aさん、Bさん、Cさんのような方にお会いして、直接話を伺ったことがある。それぞれ、その方の中では、酒が問題であったことだけが共通している。
自分のかつての飲酒の頻度や量、酩酊状態と、他の人のそれを比べて、
「そんなの大したことじゃない!オレなんか・・・」
などと、如何に自分の方が飲酒問題の根が深かったかを語りたい人。
飲酒や底付きの経験は、個人個人全く違うので、他の人と比較することは無意味である。
断酒仲間は、あの忌まわしい酒を断った同志である。お互いに切磋琢磨して、人生をより高めたいものだ。
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