「ばかばかしい!」
「アホくさ!」
信仰とまで呼べるほどに、その行為を尊んでいた飲酒だが、酒の真実に気付いた人は、一様に、上記の言葉を、吐き捨てるように、発する。
それは、化けの皮が剥がれて、その中身が自分を害するものでしかないことに気付いた人の、酒に対する腹の底からの嫌悪である。
酒を断った同志との会話が楽しいのは、お互いに飲まなくなった酒を、こてんぱんにやっつけることが出来るからである。
「良くあんなもの飲んでたね!」
「まったく!」
「でも飲んでた時は、真剣で必死だったよね」
「確かにね」
「酒の真実に気付いてみれば、バカバカしいにも程がある(笑)」
「そうそう、何だか、ほんとにバカバカしいね(爆)」
こんな会話がいつも弾んでいる。
ただひたすらに飲みたい酒を我慢するだけの断酒ならば、私など続くはずはなかった。酒をバカにすることが、ひとつの方法でもあった。
酒命(さけいのち)!だった頭を180度切り替えて、思い切り酒そのものと飲酒習慣をバカにしてみるのが、かなり効果的である。
ある特定の人を誹謗したり中傷したりするのではなくて、あらゆるアルコール入り飲料の総称としての、酒をバカにするのだ。
飲んで酔うことの本質的な意味を、シラフの頭でとことん考えてみると、腹の底から、バカバカしさが込み上げて来るはずだ。一体、アレは何だったのか。とことん飲んでへべれけに酔っていた過去は、一体何だったのか。暫し呆然としてしまう。
酒と飲酒のバカらしさに、気付くかどうかで、その後の断酒人生も変わって来る。
気付かないと、酒への未練が残ったまま、ひたすらに我慢の断酒を続けることになる。明けても暮れても、酒が頭にちらつき、飲んではいけない、飲めない我が身を恨めしく思ったりするのだろう。
これは、たまらない。一生、酒を恋い慕いつつ、近づけない寂しさで胸を焦がしたまま生きて行く断酒erも、中にはいるのだろう、きっと。
その点、早い機会に、酒の真実を知り、酒を自分の心から追い出すことが出来たので、私の心の中では、酒と飲酒に関しては、完全に割り切りが出来ており、サバサバしている。
未練など全くない。
但し、思いとは裏腹に、私の脳は、飲酒の快楽を鮮明に記憶しているので、間違って一滴でもアルコールが入れば、過剰に反応してしまうことは分かっている。
飲酒のバカらしさを十分に分かっていても、飲んでしまい、元に戻る可能性が残っており、この可能性をゼロにすることは出来ない。
飲酒はバカらしいだけではなくて、恐ろしいことでもある。
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