たまに、深夜~早朝の時間帯に、ブログの問い合わせや、メールで、
「断酒したいです」とか
「酒やめたいです」とか
メッセージが入っていることがある。
恐らく、酒を飲みつつ、でもやめたくて、断酒のブログを検索していて、たまたまこのブログを見つけたのだと思われる。本当はやめたいのだが、やめられない。酔いつつも、心の奥底から出て来る、やめたいという魂の叫びか。
しかし、私には、これらの問い合わせには答えようがない。
敢えて答えるなら、次の短歌だ。
『したいなら 先ずはしてみよ 断酒とは してみなければ 出来ぬものなり』
それと、この短歌の意味は、今年の7月7日の記事で既に書いている。
願望つまり、願い望むだけでは、断酒のスタートを切ることは出来ない。
酒をやめたい・やめなければと思って、断酒のスタートラインに立つことは、誰でも出来るが、スタートの号砲は、誰かが鳴らしてくれるのではない、自分で鳴らすのだ。
酒をやめるのに、何を躊躇しているのか。その辺り、自分の心の中を探って見れば、何となく不安だとか、一生飲めなくなるのは辛いとか、そんな風な、曖昧な理由が、霧のように漂っているのではないか。
飲み続ければ、きっとあなたの一生をダメにしてしまう飲み物が酒なのだ。こんなものと縁を切るのは、早い方が良い。
私だけの経験ではなく、このブログが縁で知り合った現役の断酒erたちが、皆口を揃えて、
「もっと早くやめれば良かった!」とか、
「酒に溺れていた昔の自分がバカバカしい」とか、
「なんであんな毒飲料(=酒)を飲んでいたのだろう?」とか、
と、言うのである。
「断酒したい」なら、「断酒すべき」であって、そうとなれば、「断酒しよう」ではないか。「断酒する」気になったなら、即刻家にある酒を全部流しに捨てて、断酒を始めよう!
断酒だけではなくて、何でもそうだが「~したい」だけでは、一歩も進まない。富士山へ登りたい、との願望を持っていても、実際に登山の一歩を踏み出さなければ、一生富士山に登ることはないだろう。
断酒も「したい」だけでは、そう思いつつ一生飲み続けることだろう。たった今から酒を断って、断酒の一歩を踏み出せば、全く状況は変わる。
いきなり飲酒欲求に苦しむかもしれない。その苦しみは、酒と縁を切るための、良い苦しみなのだ。これまで好き放題に飲んで来た毒(酒)を、身体から綺麗に追い出すための苦しみなのだ。
『してみたら 出来るものなり 断酒とは この上もなき 幸せ来たる』
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