今朝、こんなtweetをした。
【断酒】⇒ 飲んだくれに与えられているの唯一の特権。酒を断つことにより、人生を良い方向へ転換できることが、約束されている行為。
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年9月21日
この断酒という特権を、いつ行使するのか?脳や肝臓、その他の臓器を回復不能なまでに傷めつけてしまう前に、この特権かつ切り札を、エイヤッと、使うべきである。
飲んだくれに与えられている唯一の特権、それが【断酒】。tweet内の文章が一部ヘン([~与えられているの唯一の~]の[の]が不要な件)だが、それは御愛嬌(笑)
私は、自分がアルコール依存症であることは、断酒後数か月してから認識した、おとぼけのおっさんである。自分が病に罹っていることを知らずに、先に酒を断った。たまたま、その行為が正しかったわけだが。
今となって考えてみると、自分が病(アルコール依存症)を病んで、そこから回復したからこそ、次のような様々な有意義な人生へ切り替わった。
①家族との平穏な暮らしが、当たり前ではなくて、如何に尊いものであるか分かった。
②これがなければ決して出会うことのなかった、多くの断酒朋との交流を楽しむことが出来る。
③酒の正体を見破ることが出来たので、酒とそれを取り巻く業界に騙されにくくなった。
④酒なしの生活の素晴らしを日々実感しており、もっと多くの飲んだくれを、断酒へと誘いたい。だから、断酒の素晴らしさを発信している。
当たり前だが、この病(アルコール依存症)は、なったままではだめ。そのまま飲み続ければ、奈落の底へ堕ちて行くことが確定している。
病(アルコール依存症)になって、気付いて、断酒して、回復の道を歩む人だけが、味わえる世界・・・それが、病に感謝しつつ生活する日々。
辛いことがあっても、酒に逃げずに、そのことに向き合って、解決を試みる。ひとりでダメそうなら、仲間に相談する。それでもダメなら、専門家に委ねてみる。
酒など飲んだところで、何も解決しないどころか、事態は悪化の一途を辿るのが分かっているから、絶対に飲まない・逃げない。
治らないけれど回復する病、それが、アルコール依存症。このことの意味を、真に理解すると、表現がおかしいけれど、ひとつ病気を選ぶとしたら、アルコール依存症ではないか?
何故ならば、原因と回復方法が、これほどはっきりと分かっている病、しかも、回復の方法を守れば、健常者と全く同じか、それ以上の生活を楽しむことが出来る病は、他にないから。
さて、話変わって、今日は、ヒガンバナ(曼珠沙華)を見に、秩父の寺坂棚田と、高麗の巾着田へと、かみさんと息子と三人で行って来た。娘は学校だった。今日の写真は、息子が撮ったもの。
息子が使っているカメラは、6年前に亡くなった義父、息子にとっては祖父の愛用していたもの。きっと、義父は、天国でニコニコしながら孫を見ていたことだろう。
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