五十路を過ぎてから、時の経つのはとても早いと感ずるようになった。
先日、秩父へヒガンバナを見に行ってから、もう1週間が過ぎてしまった。
あの日、亡き祖父のカメラを携えて、一緒に秩父へ行った息子から、今度は紅葉を撮影に行きたいから連れて行ってほしいとの、嬉しいひと言があった。
紅葉と言えば、酒をやめた5年前の秋に、秩父の東郷公園の紅葉祭りに行ったことを思い出して、撮ったビデオや写真を見直してみた。
5年前のその日の記事がこれ。懐かしい。《断酒254日目》が、何だか初々しい。
nomisuke.hatenadiary.jp この記事の中で、
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飲みたい気持ちは一生無くならないんだ。アルコール依存に治癒は無い。そうか。ある日を境に、飲まない人にへーんしーん!てのを考えていたのだが、これ、有り得ないことなんだ。
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と書いている。
酒を断ってから8か月ほどになった晩秋のこの日は、とても寒かった。祭りのイベント会場で売っていた酒と、それをとても飲みたかった自分が、妙に生々しく脳裏に蘇った。
半年以上酒を断っているのに、売られている酒を見て、飲みたい気持ちが湧いたので「飲みたい気持ちは一生無くならないんだ。」と、悲観的に書いたのだろう。それならば、仕方ないとの、諦観だった。
ところがところが、どの日を境に飲まない人にへーんしーん!したのかは定かではないが、私は確実に飲まない人に変わった。一生無くならないと諦めていた《飲みたい気持ち》は、私の中から消えた。
もし、今でも《飲みたい気持ち》が残っていたら、これほどに断酒生活は快適でなかっただろうと思う。
今、酒を断ってから間もない人へ伝えたいのは、私の経験から、飲みたい気持ちが消えること。すぐには無理だが、徐々に薄まって行き、いつの日か消えること。《飲みたい気持ち》が消えた断酒生活は、最早断酒ではなく、飲まない生活である。
但し、私の場合、酒を大嫌いになる断酒方法を採用して、結果的に今、酒を飲みたい気持ちから全く開放されたわけだが、他の方法ではどうなるかは分からない。
どうせ酒を断つなら、酒害と、酒の化学的&薬学的な部分を徹底的に調べ上げ、人体への有害性を己の頭に叩き込み、徹底的に酒を嫌うことをお勧めする。
この、飲酒欲の権化のような私でも、酒を飲みたい気持ちが綺麗さっぱりと失せたのだ、きっとあなたにも同じことが起こると思う。
一生飲まない!と決めた酒ではないか。そんなもの、徹底的に嫌いになってやれば良い!あなたが酒を嫌ったところで、誰も困りはしない(笑)
飲みたい気持ちが消え失せた日、あなたは、高らかに笑うことだろう。
「ヾ(@^▽^@)ノわーっはっはっあ!酒飲みたくないぞ~~~」
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