酒を断ってこそ、周囲が見えて来る。
酒を飲んでいた頃には見えなかった景色が、鮮明に見えて来る。
どんな景色かと言えば、気軽に酒を飲んで酔うことの、危険性と、バカバカしさ。
その、見えて来た景色で分かること、それは、酒に酔うとは、薬物でラリること。アルコールに支配された脳は、もはや本当の私ではないこと。
酒を飲んで酔った状態では、自分の人生の操縦席に、アルコールが座っているのである。
操縦席と言えば、航空機だが、今日、こんなニュースが流れて来て、驚いた。またもや、五十路過ぎのおっさんの登場である。
www.jiji.com おいおいおい!酒に自分の人生の操縦を任せてどうする?
何故か、報道ネタになるような、酒酔いの事件・事故の主が、五十路過ぎのおっさんであることが、非常に多い。
私が主張している、50歳になったら、無条件に酒をやめるのが良いこと。これ、本当に実践してほしいな。
酒を飲むとは、一体どんな行為なのか、気軽に飲んでいる人は考えたこともあるまい。
飲酒が、ほんのひと口で終わることは稀で、大抵は、1杯が2杯、2杯が3杯、3杯が4杯・・・と、どんどんエスカレートして行く。その内に、アルコールの薬理作用によって、ラリッて来る。
ラリるとは、薬物中毒でろれつが回らなくなることだが、私は、酒に酔った状態を表すのにピッタリだと思っている。
アルコールが脳に回ってラリッている時、己の人生の操縦桿を握っているのは、酒である。己が貴重な人生の、その1分1秒でさえ、過ぎ去れば戻って来ないのに、その操縦をアルコールに丸投げしてしまうのだ。
酔いから醒めて我に返ったとき、どんな感覚なのか、経験者の私には手に取るように分かる。
(あぁ・・・やっちまった!あんなに飲むんじゃなかったなぁ。失敗したなぁ...)
酔っていて己を失っていた間、自分の行動は、酒(アルコール)に支配されていたのだ。
取り返しのつかない事件・事故を起こしてしまった場合、飲み過ぎて酔っ払ってしまったことは、痛恨の極みである。
けれども、逆立ちして反省しようとも、時間を巻き戻して無かったことには出来ない。酒に支配されていても、やらかしたのは、自分である。
人生の操縦を、いっ時とは言え、酒に任せてしまった自分が悪い。酒を飲んで酔うことの危険性を軽んずるどころか、考えたことも無かった自分が悪い。
アルコール依存症でなくとも、酒に酔うと、取り返しのつかない汚点を人生に残すことがあるのだ。
酒を飲んで酔うこと。それは、己が人生の操縦を、酔っている間、酒(アルコール)に任せているということ。あな恐ろしや!
これは正に・・・
人生の 操縦酒に 任すアホ!
(じんせいの そうじゅうさけに まかすあほ)
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