断酒を試みては、ある期間の継続後、再飲酒してしまう。
お便りや、コメントや、メルマガ登録時のひと言で、そんな方が意外と多いと感じる。
再飲酒してしまう時の感情は、人それぞれなので、こんな風に気を付けよう、などとは一概には言えない。
ひとつはっきりしているのは、酒に手が伸びてしまう時の、その人の心理状態は、今の自分では満足出来ず、心を別の状態に変えたいのだということ。再飲酒によって、酒にその力を借りるということ。
これは即ち、薬物に頼っているわけで、頼る薬物が酒以外のものであれば、タイホされている。
かつて、自分が飲んだくれていた経験から、酒で酔うこととは、自分の心を酒で偽装していたのと同じことだと、言える。
《偽装》とは、ある事実を覆い隠すために、他の物事や状況を装おうこと。
飲酒は、ネガティブな感情を覆い隠し、問題の根本は置き去りにしたまま、一瞬だけ心の暗闇に花火を上げることである。
遣り切れない気持ち、重い気持ち、悲しい出来事、解決が難しい問題、自分だけが巻き込まれてしまった問題、その他、人生いろいろあるだろう。
酒の厄介なところは、ほんの一瞬だけだが、それらのネガティブな感情を覆い隠し、明るく華やいだ気分にさせてくれることだろう。酒は、ある一定量を飲むと、確実に、ある一定の時間の間だけ、全くの別世界へと連れ去ってくれる。
今年スリップを経験した方と何度も話す機会があるのだが、その方曰く、酒を飲んで気持ちがいいのは、ほんの30分だけだと。その後のことは覚えていないし、酒から醒めた時の、激しい後悔で沈んでしまうことを考えると、二度と飲みたくないと。
結局、自分の心と正面から向き合うのを避けて、酒に逃げて、心を偽装していたわけだ。
せっかくやめた酒なのだから、そのまま断酒を継続するのに一番良いのは、素の自分を認め、受け入れること。
素の自分とは、素面の自分。シラフの自分こそ、本当の自分である。アルコールが回った自分は、酒でラリっている、薬物中毒の自分である。
どちらの自分でいたいのか、素面の自分の時に良く吟味してみるのが良いと思う。
いくら心を酒で偽装しても、薬物効果が切れて来れば、持続させるために、自分の身体にアルコールを追加注入しなければならない。つまり、酒を飲み続けると言うことだ。
酒で偽装された華やいだ心より、傷だらけの自分の心と向き合って、受け入れて、前を向いて酒なしで生きて行くことを選ぼうじゃないか。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)