ここ数日の風邪っ引きのことで、多くの方にご心配頂き、力を貰った。
経過を説明させて頂くと、確かに風邪の症状が出て、これはヤバイぞ!と、思ったのだが、その矢先に、治ってしまったようだ。
今回の風邪が早く治ったことと、断酒とに関連が本当にあるのかどうか、定かではない。証明することも出来ない。
が、以前の、飲んだくれ時代に風邪を引いた時の経験に照らし合わせると、引きにくくなったのと、引いても治癒が早いことは、確かである。
酒を断つことによって、身体の中の主要な臓器が元気になり、延いては、かつての飲んだくれから、健康な断酒erに生まれ変わることが出来ること。
更には、酒を断つことによって、酒代はかからず、酒に関連する時間は全て有効に使えるようになり、人間関係は回復し、酒による失態はゼロとなり・・・なんとまあ、良いことばかりなのだ。
つまり、酒は災いの元でしかないのに、それを長年に渡って、飲み続けていたのである。
酒が災いであることについて、断酒2年目の夏に、こんなおもしろい記事を書いていた。
《酒災》なんて、なかなかナイスな造語だ。
「酒は災いの元」即ち「酒災」で間違いない。
これを否定するなら、「酒は幸運の元」とでも?
実は、「酒は幸運の元」と言うのは、当たらずと雖も遠からずなのではある。何故か?それは、酒を飲んでアルコールが脳に回っている間だけ、ニセモノの幸福感に満たされるからである。
しかも、そのニセモノの幸福感は、酒を飲んで酔っ払っている本人の頭の中だけに出現し、アルコールの排出と共に消えて行く、儚いインチキなものであることが、誰にでも分かっている。
だが、酒をやめられない人間どもは、毎夜毎夜、このニセモノの幸福感を追い求め、酒を飲むのだ。酒をやめた人間からすると、丸で真夏の夜の街灯に集まる虫たちのようである。
どんなに恋して、どんなに慕っても、酒は、飲む人に災いしかもたらしてくれないのだ。
どんな災いがあるかについては、これまでさんざんに挙げて来ているので、ここでは書かないが、人生の行く末を大きく変えてしまう災いばかりであることは間違いない。
たったの数十分から数時間の、アルコールの薬理効果としての《酔い》を求めて、飲んだくれている内に、酒は災いを呼び、いつの間にか酒に人生を飲みこまれてしまいにっちもさっちも行かなくなっている自分に、気付くかどうか。
気付いたら、それだけで幸運ある。酒を断てば良いだけだから。
気付かない場合、そのまま、酒で死んで行く。
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