「水に落ちた犬は打て」
ある文章を読んでいたら、このことわざに出くわした。
このことわざは、「水に落ちた犬は打つな」を、魯迅がひっくり返して作ったものだそうだ。興味がある方は、ご自分で意味を探ってみて頂きたい。
アルコールで何か事件を起こした者は、マスコミやネット上で、袋叩きにされるので、そのことを比喩的に、このことわざにかけて、
「アルコールに堕ちた人は打て?!」
と、タイトルで表現してみた。
ある人が、その時点までの人生で、数十年かけて徳を積み上げて来たとしても、一度アルコールに堕ちたら、一瞬で立場は逆転し、徹底的に、完膚なきまでに叩かれる。それが、世の中の常である。
墜ちた人を打つ側(マスコミ、ネット)には、血も涙もない、何の容赦もない。
マスコミもネットも、酒を持ち上げるだけ持ち上げておきながら、飲み過ぎてやらかした人を見つけると、ピラニアのように、ハイエナのように、食い尽くす。
やらかして、叩かれている人を見て、酒を飲みながら、自分はあんなバカなマネはしないと、ニヤニヤ笑っていても、そうならない保証などなくて、気付いてみたら、同じ穴のムジナだったと、こうなることが多いのだ。
酒を飲み続けている限り、誰にでも等しく、アルコ―ルに堕ちて、やらかす可能性はある。なぜなら、酒の主成分アルコールは、魔の薬であるから。
このことが分かると、酒で失敗しないためには、酒の飲み方を工夫するのではなくて、酒そのものを飲まない、断酒以外には方法がないことが腑に落ちる。
泥酔して何かやらかすと、それを嗅ぎ付けたマスコミによって、事件の詳細が世の中に暴露され、知れ渡る。アルコールに堕ちた人は、徹底的に打て、とばかりに、前後左右上下、あらゆる方向から打たれる。
何十年もの間、コツコツと積み上げて来た信用も、実績も、アルコールに堕ちた、ほんの一瞬の出来事で、ガラガラと崩れ落ちる。自分への評価も、あっという間に地に落ちる。
何と言うことだ。営々粒々辛苦して、やっとここまで来たのに、泥酔してやらかした、たったひとつの出来事で、全て失ってしまった。と、こうなる。
今年は、芸能界でも、アルコールが原因で何人かが事件を起こして、話題になった。その度に、マスコミは、上を下への大騒ぎで、報道していた。
アルコールに堕ちてやらかす事件は、破廉恥だったり、危険だったり、マスコミが飛び付くには、格好のネタになることが多い。アルコールで脳が麻痺することにより、理性が飛んでしまうので、事件の性質的には、どうしても似通ったものになる。
「アルコールに堕ちた人は打て?!」の罠にハマらないためには、アルコールに堕ちなければ良い。
アルコールに堕ちないためには、酒を飲まなければ良い。
酒を飲まないためには、断酒すれば良い!
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