毎日必ず飲酒絡みのニュースが出ている。
今日呆れ果てたのは、これ。
あたしゃ、酒飲むのが面倒だよ😂😄😆
— 断酒男爵 (@anomiyakun) 2018年12月11日
「歩いて帰るのが面倒だった」 酒気帯び運転容疑で松戸市職員を逮捕(千葉日報オンライン) https://t.co/4ibuJYxWmO
歩いて帰るのが面倒なので、飲酒運転して帰ったと、こんな理由で酒酔い運転をして、この松戸市職員は捕まった。
飲酒絡みの事件の報道に接すると、上記のtweetでも書いているけれど、何でわざわざ、こんな面倒臭い事をするのだろうと、首を傾げてしまう。
人生の貴重な時間とお金を費やして、酒を飲み、酔い、帰宅するのに、酔っ払った状態で車を運転する。こんな面倒なことをしないで、さっさと素面の内に帰宅すればいいではないか。
かつての飲んだくれ時代の私も、この面倒臭い飲酒なる行為を毎日していたわけだが、それだからこそ今、酒を飲まなくなって、あんな面倒な行為を、もう二度とする気はないのだ。
飲酒なる行為は、実に人生にとっては、無駄で無謀で無益なことである。もう一度書くと、酒を飲むことは、無駄で無謀で無益なこと。更に、飲酒は有害である。
酒を断つまでは、飲酒こそ我が人生であって、毎晩酒を飲むことが、己の生活の中での最高の時間であった。
今では、その評価は全くひっくり返り、飲酒に費やした時間は、まるでドブに流してしまったのと同じだと思っている。飲酒に費やしたお金も無駄だが、また稼ぐことが出来る。しかし、時間は戻らない。
飲んで、酔って、やらかして、醒める。これ、飲み始めから、覚醒するまで、短くても12時間は必要だろう。何と、人生の無駄な過ごし方なのか!
今の私からすると、こんな面倒臭いこと、してられない!
酒飲みの人の行動を見ていると、実に不思議である。酒を断ったばかりの人は、自分の心理を冷静に分析してみると良い。
自分の心が欲していることが、如何に面倒臭い事であるか。
酒を買う。それを飲む。酔い潰れるまで飲む。身体の中で、アルコールが分解され、解毒されるのを、二日酔いの頭を抱えながら待つ。すっかり酒が身体から抜けた頃、また頭に戻って、酒を買う、それを飲む・・・
こんなことを繰り返したいのだろうかと、自問自答してみると良い。
心を落ち着けてよくよく考えてみれば、如何に自分は面倒臭いことを望んでいるのかと、唖然とするはずだ。
色んな見方の内のひとつになるけれど、飲酒はもはや面倒臭い行為でもあるわけだ。酒なんぞ飲まずに、さっさと帰宅し、好きなものを食べて、好きなことをして、温かい布団で熟睡するのが、一番だ。
酒飲むなんて、面倒くさ~~~い!
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