今日は、少しハードな一日だった。
午前中と午後、それぞれ別のイベントに、夫婦で参加した。
午前中は、東京メトロ主催のウォーキングに参加した。スタートは新宿三丁目駅からで、ゴールは霞が関駅の、約10kmを歩いた。
写真は、コース途中のクリスマス・ツリーと東京タワー。
午後からは、知り合いのクリスチャンの家庭で開かれたクリスマスの会に出て来た。
クリスマスの会は、赤ちゃんからお年寄りまで、35人くらいが集まって、賑やかに行われた。
飲み物は、コーヒーとハーブティー。手作りのケーキや、お菓子などが振舞われ、集まった人達は、楽しく過ごした。
本当に楽しい時間を過ごすのに、酒は全く必要がないことを、改めて実感した。寧ろ、麻薬のアルコールが混入した飲み物(酒)は、その場に存在しないほうが安心である。酒があれば、飲んで酔う人がいるので、厄介なのだ。
断酒をすると決めて、実行に移してから、物理的にも、酒から遠ざかって来たが、私から段々と酒を飲む人達が遠ざかり、酒を飲まない人達が近づいて来た。
酒を飲んでいた頃の私は、自分が飲むためにあらゆる策を弄していたものだが、酒を飲まなくなると、そんな下らない労力は必要がなくなった。
何よりも、酔うよりも、シラフの、素のままでいることのほうが、楽しい。アルコールを身体に入れて、人工的にハイになることは、考えてみれば、恐ろしい薬物効果に過ぎない。
楽しくなるために、薬物(アルコール)を必要とする生活って、一体何なのだろうか。自分の生活の中で、アルコールが大きな顔をしてのさばっているのは、どう考えても異常事態ではないだろうか。
このことは、日常的に当たり前に酒がある生活をしている時には、全く気付かない。酒を断ってから、やっと気付く。
楽しい時間に必要なものは、酒だと思っている人が多い。本当は、楽しい時間に酒は要らないのが正解だ。
自分が楽しさを感じること、何でもいいのだが、スポーツでもゲームでも、登山でも釣りでも、或いは将棋や囲碁などでも、酒を飲みながら真剣に楽しめるものなど、ないのではないか。
酒は、酒として、その場で動きは静止し、ただ酒を飲むだけの行為を繰り返し、変化するのは、飲んでいる人の頭の中だけである。脳にアルコールが回り、感覚が麻痺して、どんどん意識レベルが低下して行くのだ。
こんな生理学的に人間としての能力が落ちている状態を、快楽として認識していること自体、飲酒とは、おかしな習慣なのである。
楽しい時間に酒は要らない。これが正解である。
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