酒をやめる理由は、たったひとつあれば良い。
そのひとつの理由を守るために、断酒を継続する。
厄介なのは、飲まない理由はひとつでも、飲む理由ならいくらでも探せることだ。
「このぐらいなら、ま、いっか」
「喉が渇いたから」
「この場で断るわけにいかない」
「めでたい席だから」
「親友に久しぶりに会ったから」
「これだけやめられたんだから、少し飲んでみよう」
「これだけ勧めれたら、飲むほかない」
「ここで飲まないと、場がしらける」
1年以上断酒を継続していたある方から、仕事の関係で、どうしても飲まざるを得ない状況となり、飲んでしまったと、メールを頂いた。
飲まざるを得なかった理由がきっとあったのだろう。けれども、その理由も、実は潰せたはずなのではないかと思うが・・・
心に浮かぶ飲む理由は、全て潰せるはずだ。例えば、100の飲む理由が次々と出て来たとしても、ひとつひとつ、吟味して、潰して行けば、何も残らない。
どのような状況にあっても、自分の断酒を守ること。これが最優先である。酒が口に入ると言うことは、自分の人生が終わってしまうと言うことだから。
命あってこその、自分の人生であれば、酒を飲まざるを得ない状況などと言うものは、こじつけに過ぎないと、私は思う。
自分の心に寄生している飲酒をそそのかす小悪魔は、飲みたい気持ちを監視していて、弱気に傾けば、出て来て「酒を飲もうよ」と、囁くのだ。
「xxだから、飲んでしまおう。」
そんな気持ちが心を過ったら、そのxxは、屁理屈に過ぎない。そのxxに、断酒した理由○○をぶつけてみたら良い。xxなど○○に簡単に吹き飛ばされてしまうことだろう。
酒を飲む理由より、酒を断った理由のほうが、大きくて重いからだ。
潰せないほどの飲む理由など、有るわけがないのだが、それでも飲んでしまうことがある。
飲んでしまったら、いつまでもそのことにこだわって、再飲酒に浸っていないで、脱出を試みるべきだ。断酒の世界に戻るのだ。
100や1000の飲む理由より、たったひとつの、断つ理由のほうが大事なのだ。人生を懸けて、その断つ理由を守るために、断酒を継続するのだ。
飲む理由を盾に飲むことはいとも簡単だが、その飲む理由は、一生酒を飲むに値する理由だろうか?人生を懸けて酒を飲む理由、それが真っ当な人を、私は見たことも聞いたこともない。
酒を断とうと思ったときの理由と、酒を飲もうと思ったときの理由。あなたは、どちらに人生を懸ける価値を見出すのだろうか。
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