ふと思い出したことがあった。
このブログを書きだして数年経った頃だったと記憶しているが、こんな訳の分からない批判をもらったことがある。
「一方的な断酒の考えを振りまいて、断酒の仲間を増やし、自分の思い通りの方向へ持って行こうとしている。」
何だかわけの分からない意見で、一体何を言いたいのか、理解に苦しんだので、もちろん、私はこんなものには無視を決め込んで、何の反応も示さなかったが。
断酒せざるを得ない人に、どのような考え方で断酒に取り組んだら良いのか、私が発信して来ていることは、数ある考え方の中の、ひとつの例に過ぎない。
賛同する人はそれで良いし、批判的な人は別の考えで取り組めば良いだけの話なのだから、そんなことで私に絡んで来るのは、どうも別の理由があったかららしいが、ここではそれには触れない。
この意味不明な言葉から、私は、ある意味、ブログを読んで下さる方に、断酒の洗脳をしているのかも知れないと、思った。
言葉としての《洗脳》は、良い意味では使われない。何かの教えに激しく共感し、本来の自分を封じ込めて、宗教やら、思想やらの団体や組織に染まって活動するイメージだろうか。
断酒の洗脳は、悪いことがひとつもない。
酒の主成分アルコールは、人体には有害な毒物である。だから、酒は断つべきだ、飲まない方が良い。
これが私の主張していることの骨子である。この考え方に何か間違いがあるだろうか。
昨今、断酒ではなくて、節酒の指導をする医療機関があると聞く。
私はアルコール依存症では医療機関へ足を運んだことがないので、その指導内容については分からないが、節酒や減酒が出来ないからこそ、断酒しかないのに、節酒とは??と、疑問が湧いた。
矢張り、断酒が一番であって、二番も三番も断酒であろう。最初はどんなに苦しくても、飲まないと決めて、酒から距離を置く。
一日一日は長く感ずるけれど、それを繰り返して、ある期間断酒が継続すると、楽になるのだ。
断酒の洗脳を自分で自分にするのが、断酒継続のコツである。自分がやっていることが、最善の道であると、自分に理解させるのだ。
それには、酒の主成分が人体には有毒のアルコールであって、これは人間が飲むべきものではないことを、己の脳に叩きこむのが、一番良い。
酒は大人になったら当たり前に飲むもの、付き合いには欠かせないもの、との子供の頃からの洗脳が、きっと断酒の足かせになっているはずだ。
なので、それを解くためには、断酒の洗脳が有効なのだ。
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