酒なし生活が普通になって、街で酒を見かけても、最近は反応すらしなくなった。
極たまにある飲み会で、隣の人の酒から漂うアルコール臭や、電車の中で酒臭い人の呼気などに触れると、吐き気を催すが。
酒を嫌って、断酒が楽になる。これが自分の断酒のコンセプト。
なのに、いつ頃から、自分の酒関連への思いが、
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』
の考え方で、
『酒が憎けりゃ酔っ払いまで憎い』
になっていた。
昨日のメルマガにて反省点を書いた、Twitterでの一連のtweetも、ここのところ、酒そのものの害悪ではなくて、酒を飲んで酔っ払ってやらかした人をこきおろすような内容が多くなっていた。
『罪を憎んで人を憎まず』
と言うけれど、
『罪を憎んで人をも憎む』になっていた。
つまり、本当は、
『酒を憎んで人を憎まず』
でなければいけないのに、
『酒を憎んで人をも憎む』
になっていたのだ。
断酒3年目の頃書いた記事。
この頃既に、酒だけでなく酔っ払いをも憎んでいたようだ。
実際、飲酒運転事故での被害者のことを考えると、酒の前に、そんな重大事故を起こした犯人を憎み恨み忌み嫌いたくなるのが、人情と言うもの。
それと、飲酒運転だけでなく、酔ってやらかした人は、その犯罪行為のことを何も記憶していないので、自分がやったことの実感がないのである。
なので、飲酒がらみの事件の裁判の過程では、被告が心底反省し、被害者に謝罪しているような場面は、新聞記事などでもあまり見ない。自分の刑を軽くしようとする行動が目に付いたりする。
さて、ここで、飲んだ人が悪いのか、飲んだ飲み物(酒)が悪いのか。
自分のかつての飲んだくれ時代の経験によれば、どんなに注意して酒を飲み始めても、自制心の効くほろ酔い程度で止めることは出来なかった。
私も、酒酔いが原因の事件・事故の加害者になっていたかも知れない。今こうして普通に生きているのは、ただ運が良かっただけだと思う。
私がもし過去に、酒に酔って人を傷つけたり、命を奪ったりしていたなら、今でもきっと被害者やその家族に憎まれていたことだろう。
酔っ払った人をして、事件・事件の加害者にしてしまう原因は何だろうか。
酒を飲んで酔うことにより、その人の脳が、アルコールの薬理作用によって、一時的に麻痺させられてしまうことが、唯一の原因なのである。
そうだ、酒がいけない。
『酒を憎んで人を憎まず』
分かってはいるのだが、これ、中々に難しい。
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