今日も、見かけた。春になると、家から出て来るのだろうか。
最寄り駅近くのベンチで、昼間から飲んだくれてるアル中爺さん。ぶつぶつ何やら呟きながら、高アルコールの缶酎ハイを飲んでいる。
他人の余生だ。アル中のまま終わろうと、それで良いではないか・・・そう。それも分かる。
私は、アル中爺さんに何か言うつもりは毛頭ないし、ここまで来てしまった人に何か言っても全くの無意味であることを知っている。
ただ、ここにいるアル中爺さんは、私が酒を断っていなかったなら、こうなっていたのだと、つまり私の余生だったかも知れないのだと、思わせてくれるのだ。
そうだ。酒を飲み続けると、人生は劣化の一途を辿るのだ。
どこかで思い切って酒を断った人と、そのまま飲み続けた人と、前者は人生が向上し、後者は人生が劣化する。
どうせ死んでしまうのだから、好きなように生きればいいじゃないか。
それも一理あるが、自分だけ、酒を飲む人生を好きに生きたとして、周囲の人はどれだけ迷惑を被っていることか。このことを考えず、好き勝手に生きて、死んで行くなど、我がまま過ぎて話にならない。
酒を飲み続けて、酔い続けて、それだけで終わってしまう人生ならば、一体何のために生まれて来たのだろうか。
自分が飲んだくれていた頃は、これと正反対のことを考えていた。
酒を飲み続けて、酔ったまま死ぬことが出来れば、それが本望だと。どこまでも、酒を愛していた。自分と酒とは、切っても切り離せない、墓場まで一緒に行くものだと思っていた。
それがどうだろう。
酒を断って、日常が当たり前に素面になって、酒に酔うことが非日常的で異常なことであると認識するようになった。
この貴重な人生。決して時間を巻き戻すことは出来ない。どんどん時は過ぎて行く。酔っ払っている場合じゃない!いつも素面で、カッと目を見開いて、生きていなければ。
人間は死ぬ時に、それまでの人生がパノラマのように再現されると言うけれど、飲んだくれたまま死ぬと、アルコールが脳に回って、ただグルグルと渦巻のようなものしか見えないかもしれない。
なにしろ、再現されるはず人生の記憶が、アルコールによって疎外され、いつも酔っ払っている自分だけしか、自分の人生に存在しないのだ。
そんなアルコール漬けの人生、詰まらなすぎるだろう。
早ければ早いほど良いけれど、何歳からでもOKだ。酒を断って、劣化する人生に歯止めをかけて、断酒によって人生を向上させよう。
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