東京では漸く桜も散って、花見のシーズンは過ぎ去ったようだ。
私の住むところでは今、21日の投票に向けて、立候補者の宣伝カーからの叫び声や、該当での演説が喧しい。
花見が終わったかと思えば、今度は選挙に勝った、負けたで、また祝杯を挙げたり、残念会で飲んだりで、酒が登場することだろう。
嬉しくても、悲しくても、めでたくても、残念でも、とにかく酒が顔を出す。いつだってオレの出番だと、エラそうに顔を出す。
飲む側として、酒と引き換えに、得られるものと、失うものとを、冷静に考えて見ると、得られるものは、酔いだけで、失うものは、一々挙げたら切りがないほど多いことが分かる。
大事な家族と引き換えに酒を飲む人もいる。
一度しかない人生と引き換えに酒を飲む人もいる。
尊い命と引き換えに酒を飲む人もいる。
酒を断ってからマジメに考えると、酔うことのバカバカしさが分かるのだが、酒を飲んでいる最中の人には分からない。
あまりにも手軽に気軽に、飲酒によって実現する「酔い」 は、それが毎日繰り返されるようになると、色々な大事なものと引き換えられて行く。
酒と引き換えられるもののひとつに、心身の健康がある。アル中になって、心が病む。また、身体のあちこちが病気になる。
仕事や信用も、酒と引き換えられる。飲み過ぎて、仕事を信用を失う人が多い。
人生を酒と引き換えてしまう人もいる。自分の人生ならまだしも、他人の人生を自分の酒で台無しにしてしまうことがある。
最悪なのは、命を、酒と引き換えてしまうことである。これも、自分の命ならば自業自得だろうが、他人の命を、自分の飲酒が原因で奪ってしまうことがある。
酒と引き換えに、何とまあ大事なものが沢山奪われることだろうか。
話は変わるが、今日のお昼頃、電車に乗っていたら、途中駅から、赤い顔をしたお爺さん軍団が乗り込んで来た。5~6人いただろうか。
耳が遠いのもあるだろうが、どこかで酒を飲んで来たらしく、デカい声で喋りまくるのには閉口した。ガマンするのは良くないので、私はすぐに隣の車両へ移動した。
このお爺さん達は、酒と引き換えに何を得たのだろうか。
そんなことを考えながら、隣の車両から元気なお爺さん達を見ていた。
ここまで年を取ると、最早断酒何て考えないのだろう。あと数年から10年くらいでこの世とおさらばするなら、このまま飲み続けるのだろう。
ああ、そうか、このお爺さん達は、私のようなアル中ではないのかも知れない。
酔っ払いを見ると、皆自分と同じアル中に見えてしまう(笑)
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