酒でやらかした芸能人の、謝罪会見がたまにある。
つい最近も、あったので、ご覧になった方もいらっしゃるだろう。
大体、酒でやらかした人の会見は似通っている。
先ずは、神妙な態度で、深々と頭を下げ、謝る。
その次に、報道関係者に矢継ぎ早に質問されると、きょとんとした顔付きで、しどろもどろに受け答えしている。
多分、自分のしでかしたことの記憶が無いのだから、その事件・事故を起こしたのが、本当に自分なのか、と狐につままれた感覚なのだ。
自分ではなくて、誰か他人がやらかしたことを聞かれているような気持ちなのだと思う。
泥酔してしまい、自分のしでかしたことを、翌日に誰かに指摘されても、全く覚えていないこと。これは、私にも経験があるので、追及されても困ってしまう、その心理は良く分かる。
自分がやった感覚すらなく、泥酔時の行動など、全く覚えていないにも関わらず、やいのやいのと、責められる。
当の本人の心の中では、
(私じゃない!私は何も覚えてない!酒がやったんだ!)
と、叫んでいるはずだ。
そうなのだ。自分ではなくて、酒がやったのだ、酒にやらされたのだ。確かにその通りなのだが、大人なのだ、そんな道理は通らない。
そうなってしまった根本原因の、酒を飲んだ自分に責任がある。とんでもない問題を引き起こそうなどとは露ほども思わず、ただの楽しみで酒を飲み始めたのかも知れないが、酒なる飲料を浴びるほど飲んだのは、自分なのだ。
この辺りの自覚を持てるならば、断酒へと進むかもしれない。
だが、大体の人は、精々がほとぼりが冷めるまで「禁酒」でお茶を濁し、そろそろいいだろうと言う頃に、また飲み始める。
酒の恐ろしさを腹の底で理解した人だけが「断酒」を決意する。
「断酒」ではなく、取り敢えず「禁酒」する人は、自分の酒の飲み方が良くなかっただけだ、この次はあんなに酔わない程度に飲もう、と思うのだろう。
で、結局は、泥酔してまたやらかす、を繰り返すことになる。
何故見て来たようなことを言うのかって?
私が30年に渡って繰り返して来たことだからである。
何度飲み過ぎても、その都度立ち上がり、飲み方の反省をして、次はきっちりとほろ酔い程度で飲むぞ!と、色んな工夫もして、チャレンジするのだが、結局飲み過ぎての泥酔を繰り返す・・・
飲んだくれは、性懲りもなく、同じ過ちを繰り返すのだ。それは、酒の真実を知らないからである。
つまり、酒=アルコール=薬物=毒物、と言うことだ。
私じゃない!酒がやったんだ!
ではなくて、
私だ!酒にやらされたんだ!
が、正しい。
酒にやらされたくなかったら、酒を飲まないことだ。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)