舌の根も乾かぬうちに、はたまた、喉元過ぎれば熱さを忘れる!?
何のこと??
ええと、関西弁のCさん、飲酒再開の巻。
Cさんが断酒erになった!との記事を書いたのが、今からたったの2週間前のこと。つまり、Cさんの断酒は2週間で終わりを告げたようだ。(実際にはもっと短かったのかもしれない。)
Cさんの飲酒再開の情報は、本人からではなくて、私とCさんとの共通の友人からなので、確かである。
服薬によって糖尿病の症状が安定し、医者も酒をやめる必要はないと言ったのだから、と、飲みだしたのだろう、きっと。
ほんの短い期間だがやめていた時は、
もう酒は要らないとか、
酒なんて飲まないほうが楽だとか、
酒なしで迎える朝が気持ちいいとか、
断酒の良さの感想を述べていたCさんだったのだが・・・
糖尿病は、食事や飲み物を制限し、運動を取り入れることによってコントロール出来る病ではあるが、Cさんの場合、酒だけでなく、大食も復活したし、運動もほんの少しやっただけで、もう中断しているようだ。
Cさんのような人は、割と多いと感ずる。
断酒をするぞ!と声高らかに宣言し、実行するのだが、ほんの短い期間だけで終わってしまう。
あまりの飲酒欲求に耐えられず、何のかんのと飲む理由をひねり出して、飲酒を再開してしまうのだ。
これは飽くまでも私の考えだが、断酒とは、極論すれば、命を選ぶことである。酒を飲み続けるのは、命を捨てることである。
飲んだくれたままでは、自分の本当の命を生きていることにはならない。酒を断ってこそ、自分が生きていることを実感出来る。
酒と自分とは、一体どういう関係なのか。
これからどう生きて行くのか。
酒と完全に縁を切りたいのか、ほど良く付き合って行きたいのか。
実際のところ、酒とほど良く付き合えないから、すっぱりと縁を切って、断酒の道を選ぶわけだが。
自分の断酒への思いを、そこまで高めないと、きっと中途半端な結果に終わってしまうことだろう。
さて、タイトルの5・7・5に7・7を付けて、何故命より目前の酒を選ぶのか、私の答えを出してみよう。
『命より 目前の酒 なぜ選ぶ 魔の液体の 呪縛のままに』
それは、酒なる魔性の液体による呪縛が、解けていないからであるし、解こうともしていないからである。
酒(アルコール)は、人をして、不幸のどん底へと貶める、悪魔の液体なのだ。なので、飲んだくれの中には、喜んで命よりも目前の酒を選ぶ人がいる。
酒に脳を支配されたまま、人生の終焉を迎えるなんて、私はイヤだ!
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