youtubeで、福岡県警が作成した、飲酒運転撲滅の動画を見た。
この動画は、Twitterでも、紹介した。
酒を飲んだ後、ほんの軽い気持ちで、ハンドルを握り、それが自分、自分の家族、被害者、被害者の家族の人生を狂わせてしまう・・・
この動画の中で(14分48秒あたり)、被害者の家族の方が、酒は飲んでもいいけど、飲酒運転はしないでと言っている。
この方は、とても優しい。恐らく、ご自分でも酒を嗜む方なのだろう。
飲酒運転を無くそうと、警察やその他の団体、他に沢山の方々が運動されているけれど、毎日のように酔っ払いが運転している。
私は飲酒運転はしたことがないけれど、自分の飲酒経験から分かることがある。
それは、飲酒運転だけでなく、他の行為にも共通して言えることである。
酒を飲む前には、
「○○をしてはいけない」
と理解しているのに、飲み始めて酔っぱらうと、
「○○したって大丈夫だろ」
に変わってしまうのだ。
「○○」を「飲酒運転」や「アルハラ」や「誹謗中傷」などに置き換えてもらうと、話が分かると思う。
そういうわけなので、酒を飲む前の人なら常識として理解していることなのに、酒を飲んで酔っ払ってしまうと、頭の中で全く別の扱いになってしまうのである。
素面の時は「ダメ」だったことが、酔うと「OK」になり、その逆に、素面の時は「OK」だったことが、酔うと「ダメ」になったりする。
「飲酒運転をしてはいけない」は真理である。
が、アルコールに侵された脳は、これをいとも簡単に覆す。
「私なら飲酒運転をしても大丈夫である」が酔っ払い脳の真理となってしまうのだ。
以前にも書いたことだが、飲酒運転を取り締まる側と、する側では、日々いたちごっこが繰り返されている。
酒と飲む人と自動車が存在する限り、この先もこのいたちごっこは、絶対に繰り返される。地球上の全ての車がAIによる自動運転になるまでは、繰り返される。
こんなことを考えていたら、酒は必要悪なので、これからもこの世から無くなることはないのだろうと、私なりの結論に至った。
個人個人が酒の有害性に気付き、酒から遠ざかる、即ち、飲んでいる人は断ち、飲まない人は酒に近づかないようにするしかない。忌々しいが、仕方ない。
アルコールの魔力によって、今宵も飲酒運転をして事故を起こす飲んだくれがあちこちに出没することだろう。
分かっちゃいるけど、「飲酒運転はやめましょう!」との声かけと、やったらこうだぞ!との見せしめの厳罰化くらいしか、目立った対応が無いのが現状だ。
何故ならば、酒(アルコール)は必要悪なので、これそのものを禁じることが出来ないからである。
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