昨日の「アルコール信仰」について、ハイジさん、ゴンさんから、コメントがあった。
酒をやめるために集うAAについて、宗教っぽいとか、宗教臭いとか・・・
AAは、元々、キリスト教国のアメリカが発祥であるので、自分の手に負えなくなったアルコールの制御を、全知全能の神の御手に委ねる、と言った考え方はある意味当たり前なのだと思う。
実は私はこれまで、断酒会の誓いの言葉の中の「酒に対して無力である」、AAの12のステップの中の「アルコールに対して無力である」との言葉に、大いなる違和感を持っていた。
何度かブログにそのことを取り上げたこともある。
その点に関しても、最近考え方が変わって来た。
昨年の初めくらいから、ブログで知り合ったある方の縁で、キリスト教の集会に顔を出すようになり、そんなに頻繁でもないが、月に一度くらいは牧師さんの話を聞いている。
それに伴って、段々とだが、自分の小ささを身に沁みて感じるようになった。自分よりももっと大きな存在、捉えどころのない大いなる存在が、確実にある、と思うようになった。
ここで、昨日のブログに取り上げた、一般的な宗教の特徴について、再録してみる。
・個人の自立を尊重
・人を助け信仰心を満たす
・ 問いや批判的な考え方を許す
・「全て自分」という考え
・金銭は目的を果たすための手段の一つ
・批判する人に丁寧に応答
・家族、家庭を大事にする
・入信する際よく考えて決断させる
AAは宗教臭いと言われることがあるようだが、酒を断つために集う、断酒教だと考えたらどうだろうか。
私は参加したことがないのだが、AAに集うことにより断酒を継続出来ている方がいらっしゃるなら、自分以上の大いなる存在、ハイヤーパワーに自分の断酒を委ねるのも良いと思う。
断酒を志す仲間と集い、お互いに励まし合いながら、酒を飲まない日々を送ることが出来るなら、それは素晴らしいことだろう。
昨年4月の渋谷のオフ会に来て下さったゴンさんがおっしゃっていた言葉が印象的で、今でも思い出す。
「酒をやめ続けるため、月曜日から土曜日まで、毎日AAに参加しています。」
断酒会が合う方もいらっしゃるだろうし、AAが合う方もいらっしゃるだろうし、私のようにブログを書くことで断酒が継続している方もいらっしゃるだろうし、他の方法で断酒をされている方もいらっしゃるだろう。
いつも書いていることだけれど、酒を断つことが出来ているなら、どんな方法や手段でも、OK!
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