長かったこの連休も、酒の飲み過ぎで起こった事件・事故が多かった。
その原因は何れも、何気なく酒を飲み、それの度が過ぎて、アルコールが脳を麻痺させて起こっている。
車の事故だけではなくて、酔って人を殴る事故がいくつか起きている。
5月1日には、JR武蔵小杉駅の通路で、酔っぱらいの47歳の男が、小学校4年生の9歳の女の子を、傘で殴ったそうだ。理由は、「邪魔で、行儀が悪いと思い殴った」とのことだ。
おいおい、邪魔で行儀が悪いのは、お前だろう?酒を飲んで酔っ払うと、酒にまみれてアルコール臭ぷんぷんの自分が正義になってしまうのだ。
5月4日には、神戸市で、酔っ払いの48歳の男が、50代の男性を殴って、重大な怪我を負わせている。右の拳で二発殴っている映像が、防犯カメラによって捉えられている。
証拠は歴然としているにも関わらず、この男は、「暴力はしていません」と答えているそうだ。
おいおい!二発も殴っているのに、これを暴力と言わずに何と言うのだ?
飲酒運転だけではなくて、酒に酔うと、とても大人の人間とは思えぬ行動を取る輩が多く出現する。
酒は、何気なく飲むものではない!
自分が犯罪者になるかも知れぬことまでを考え、信念を持って飲め!
と、私は言いたい。
酒好きな人は、酒をやめない。私がそうだったから、良く分かる。自分がどんな失敗をしても、どんな失態をやらかしても、飲み方が悪かったのだ、この次こそは、きちんと飲もう、などと出来もしないことを誓うものだ。
今、酒をやめることが出来ず、飲み続けてしまっている人も、自分の飲酒に信念を持てるなら、そのまま飲み続けても良いのではないか。
信念とは、そのことが正しいと、固く信じ込む心のことだ。
飲酒が正しいことだと、信念を持って酒を飲むなら、そしてそのことで自分の心に後ろめたさがひとつもないなら、堂々と飲めば良い。
とは思うが、飲んだくれは、大体にして、ただ何気なくダラダラと酒を飲んでいるだけであって、己の飲酒について、この行為は正しいとか間違いとか考えることなど無いだろう。
アルコールなる毒物を、ただ惰性で毎日飲む。
これは、かつて私自信がしていた行為である。
今となっては、何と恐ろしく悍ましい行為をば、平然と毎日繰り返していたのだろうと、背筋が寒くなる。
もし私が再飲酒する時は、飲酒に信念を持つことが出来る時である。
飲酒が私にとって正しい行為であると、固く信じ込むことなど、この先死ぬまで無いので、再飲酒は有り得ないことだが。
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