最近、太ってしまった。
食べる量は変わらないし、甘いものの摂取もほとんどしなくなったのに、何故に体重が増加したのだろうか。
答えは分かっていて、それは、朝の運動をしなくなったからだと思う。
起床時間は変わらず、え!?そんなに早く起きてるの?と驚かれるくらい、早いのだが。
それで、今朝からまた、朝の運動を再開した。
先ずは、負荷の軽いポール・ウォーキングから。
自分がそうしているからと言って、朝の運動が万人向けだとは思わない。夜運動するのが自分には合っていると言う方もいらっしゃるだろうし。
私にとっては、朝の運動が合っており、益である。なので、中断していたが、再開をしてみた。
さて、表題「飲酒は人生に益か害か?」の件。
これも、朝の運動と同じで、一概に全ての人に益だとか害だとかと決めつけることは出来ない。
中断しているとして、積極的に再開したいかどうかで、それが自分の人生に益か害かがはっきりするだろう。
私は今飲酒を中断(正確には、断酒は飲酒の中断ではない!)しているが、これを再開したいか?と己に問うてみれば、絶対に否!である。何故ならば、飲酒は私にとって害でしかないから。
益か害か、つまり、有益か有害か。
酒は毒であるけれど、実際のところ、飲み方によっては有益の人もあるだろう。毎日飲むとしても、食前酒程度であれば、楽しみのひとつに過ぎないかもしれない。
そう言った飲み方の人は、酒に依存はしていないから、何らかの理由で、明日から飲酒を中断しなさいと言われても、特段に困りはしなだろう。
問題なのは、飲酒が人生の害になっている人だ。その人の飲酒は、自分の人生だけでなく、家族や他の人の人生にとっても害となっている。
先日も書いたことだが、こう言った人(酒害者)が、酒を断つことにより、自分の人生、延いては家族の人生、他の人の人生までもを益とすることになるのである。
ただ厄介なことに、自分の人生に飲酒が害になっていることに、酒害者本人は中々気付かない。本人が気付かないと、断酒へと進まない。
第三者が見て、明らかに飲酒がその人の人生の害となっていても、本人は飲酒に益しか感じていない場合、この人は完全にアルコール依存症である。
尤も、自分の飲酒に害を感じつつも、やめられない人もいるわけで、これが酒の薬物としての真骨頂ではある。
薬物(アルコール)依存が人生に益の筈は無くて、害であることは明白である。
自分の人生を酒に支配されたいのか、自分の人生を酒から解放したいのか。
この点を真剣に考えて、断酒へと踏み出そう。
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