昨日のブログの締めくくりでは、翌朝の天候を気にせず、
「明朝も確実に起きて、歩きに行けることだろう。」
と書いた。
今朝は、いつもの時間に起きたのだが、雨のため歩きには行けなかった。
このように、昨夜の私がやろうと思っていたことは、確実に今朝の私に引き継がれている。
「そんなの当たり前のことだろ!」と言われそうだ。
そう。シラフならば当たり前のこと。
でも、昨夜の私が泥酔していたらどうだろうか。
酔った頭で、翌朝何をやろうと考えていたのか、眠りと酔いから醒めた頭に残っていただろうか。
私の経験から言えることは、昨夜泥酔していた自分と、今朝酒と眠りから醒めた自分は、同じ人間ではあるけれど、心の有り様が、別人なのだ。
それでは、酔っている自分とは、一体誰なのか。
酔っている自分は、本来の自分を自分たらしめている脳が、薬物アルコールによって、その本来の働きをしていない状態である。なので、自分であって自分ではない。
つまりは、多重人格のようである。素面の自分と、酒を飲んだ時に出て来る別の人格の自分。
素面(S)⇒酔っ払い(Y)⇒(S)⇒(Y)・・・
こんな感じで、酒を断たない限り、同じ人間でありながら、素面と酔っぱらいの間で、人格交代を繰り返している。これが、酔っている自分は誰なのか、に対する私の考え方。
なので例えば、飲酒運転事故を起こして全く無関係の人の命を奪ってしまっても、それは酔っぱらいと言う別人格がやったことなので、素面の自分には良く分からないことなのだ。
さて、人には、自分の人生での勝負どころがいくつもあるだろう。
入学試験、資格試験、入社試験、家を買う、マンションを買う、事業を始める・・・これらの時、酒を飲んで酔っ払った状態であったらどうなるだろうか。
まさか、酒を飲んでそれらのことに臨む人はいないとは思うが、それでも中には度胸付けのために飲んでから行く人もいるかもしれない。
物事は、素面の自分が冷静に進めても、うまく行くかどうかは分からないものだ。況してやアルコールが頭に回った状態では・・・考えたくもない。
酒がやめられなくて困っている人は、素面の時によく考えてみると良い。
自分が酒に望んでいることは、素面氏から酔っ払い氏への人格交代に過ぎないのだと言うことを。
このことについては、以前に書いた記事を読んでもらいたい。
自分は、シラフ博士なのかヨイドレ氏なのか。自覚出来ているだろうか。
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