私の住む東京も、早ければ明日梅雨入りとのこと。
冒頭のカタツムリは、今朝のウォーキングで見付けた。(カタツムリの左に見える黒っぽいものは、糞ではなく、その上にある桑の木から落ちた桑の実。)
カタツムリだが、とんと最近は見かけなくなったようだ。私の子供の頃、田舎ではこの時期どこにでもカタツムリがいたと記憶している。
二本の角をぴんと立てて、自分の住処を背負って、ゆっくりゆっくり動くその様は、観察しているだけで、私たちが忘れてしまった大切なことを思い出せてくれるような、そんな感じがする。
飲んだくれ時代の私は、自然のことになど興味が無く、飲んでは酔っ払い、醒めて働き、また飲める夜を待つ、と、そんな暮らしだった。
いつも書いていることだが、断酒して変わったのは、自分の視界である。それまで白黒の、精々が灰色にしか見えなかった自分の住む世界が、総天然色になった。
実に小さなものまで私の目に飛び込んで来る。そう、私が見るのではなく、向こうから私の目に飛び込んで来るのだ。
飲酒時代、私の頭には常に暗雲が垂れこめていたので、どんなに素晴らしいものが目に入っても、脳がそれを認識しなかったのである。
昨日書いた例えの線香花火のように、酒を飲んで酔っ払った時だけ、私の頭の中は明るくなった。
酒を断つと、何故にこれほどにものの見え方が変わるのだろうか。
それは、断酒によって、垂れ込める暗雲の原因物質のアルコールを、身体から徹底的に排除するからである。
一気には晴れないが、酒を断つ期間に比例して、徐々に暗雲が去り、心が晴れて来る。
そして、一年もすれば、晴天が訪れる。
もちろん、人生は、酒なんぞに関係なく、照る日もあれば曇る日もある。酒を断てばすぐに幸せになるなどとは、決して言わない。
人生の様々な場面で、心が、脳が、いつも晴天である状態と、アルコールが原因で暗雲垂れ込めている状態と、どちらのほうがより良いと思われるだろうか。
かつて、私は嫌なこと、悲しい事、考えるには難しいことなどがあると、取り敢えず酒を飲んでからにしよう、と、酒に逃げていた。
飲んで酔っている内に、忘れてしまい、それらの諸問題は置き去りにされ、悪化の一途を辿って行った。
心が晴れている今は、自分で考える、家族や友人に相談する、それでも良い答えが見つからない時もある。でも、諸問題を置き去りにすることは無い。
『飲酒暗雲、断酒晴天』
暗雲と晴天、あなたはどちらを選ぶ?
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)