近所に出没するアル中のじい様数名、今日は雨模様なので、見かけなかった。
いると、わあ~昼間から大酒飲んでら!なんて、眉をひそめて横目に見つつ近くを通過するのだが、いないと、あれ?今日はどうしたのかな?なんて気になったりする。
いつもアル中のじい様たちが酒盛りをしているスペースは、パラつく雨で濡れていた。
あのじい様たちは、誰なんだろう。アル中であることは確かだな。
老若男女、色んな人がこの世の中でそれぞれの立場で生きている。肩書があろうとなかろうと、それぞれの人生を生きているんだな~と、そんなことを考えた。
私は〇〇である!
と宣言してみたところで、〇〇の前に、酒を断ち、アルコールで覆われたベールを剥ぎ取らないと、〇〇ではなくて、十把一絡げで、アル中でしかないことは確かだ。
どんなに世間で認められた資格を持っていようと、地位にあろうと、アル中の分類に一括りにされてしまうだけだ。
アル中の医者、アル中の弁護士、アル中の政治家、アル中の坊さん、アル中の神父、アル中の牧師、アル中の運転手、アル中の社長、アル中の パパ、アル中のママ、・・・
医者でも弁護士でも政治家でも坊さんでも神父でも牧師でも運転手でも社長でもパパでもママでも、アル中に一括りである。
人間はひとり一人個性が有って、その人固有の考え方、生き方で、人生を歩んで行かねばならない。
自分らしく生きるには酒なんぞとは縁を切らねばならない。だから、何が何でも、断酒ファーストなのである。
このことを以前に、書いている。「断酒第一、健康第二」である。
そう、私たち飲まないアル中はいつだって、断酒ファーストなのである。
健康オタクの人を揶揄しての、こんなフレーズを聞いたことがある。
「健康の為なら死んでも良い」
私たち酒を飲まないアル中ならば、こうかな。
「断酒の為なら死んでも良い」
半分冗談としても、また、断酒の為に死ぬことは無いにしても、酒を飲まないためならば、そのくらいの心掛けが必要かもしれない。
何しろ、飲酒を再開すると、脳がアルコールにやられてしまい、断酒していた自分が死んで飲酒する自分が生き返るわけだから。
飲まないアル中が飲酒を再開すると、飲酒ゾンビになる。飲酒ゾンビなる言葉は、以前のブログにも出したことがある。
ゾンビとは、死体のまま蘇って、あちこちを歩き回る人間である。飲酒ゾンビとは、脳がアルコールでやられて、精神的には死んでしまっているが、アルコールに操られて歩き回る人間である。
飲まないアル中は、いつだって断酒ファーストを貫かなければならない。飲酒ゾンビにならないために。
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