断酒ブログとして書き続けて、今日で2296記事、もう少しで2300記事になる。
断酒当初は、酒は悪いところばかりではない、酒にだって良い所もある、との考えだった。それでも、酒の良いと思われるところは書かず、酒の悪口ばかり書き続けて来た。
今日まで書き続けて来て感ずることは、当初あると思っていた酒の利点など全くのゼロで、酒の粗探しは、してもしても尽きぬと言うこと。
酒にだって利点があると主張する人もいるが、甘い甘い。酒にあるのは害悪のみであって、利点など皆無である。
酒を断つなら、徹底的に酒の粗探しをし、酒の害悪を掘り起こし、酒の正体を暴くのが良い。酒の正体を曖昧にして、酒にだって良い所があるさ、などと嘯いているようでは、真の断酒は出来ない。
と、私が主張すると、かつてはそのことに反感を持つ人から、反論のコメントが入ったものだった。
「何を言ってるんだ!酒にだって良い所があるぞ!物事には二面性がある。酒もそうだ。お前だって酒に良い所があるから、かつては飲んだくれていたんだろう」
いやいや、全く無い。酒にあるのは害悪のみである。
酒に良い所があると思っている人と、酒にあるのは害悪のみであると言う私との間には、決して埋めることの出来ない深い深い谷間がある。
私は、死ぬまで酒なんぞ飲まないぞ、死んだって飲まないぞ、と断酒した時に己に誓ったので、酒を徹底的に嫌い、酒の正体を暴くことにしたわけだが、大正解だった。
中途半端に酒を擁護しつつ断酒している人は、何かのきっかけで再飲酒してしまう確率が、私などのように酒は害悪の権化であるとしている人より高いはずだ。
生きている上で、辛いことや悲しいことは必ずあるわけだが、手っ取り早くそこから逃げるには、酒を飲んでしまう方法が一番かもしれないから、自分を納得させる口実をひねり出して、実行するのである。
こうしたわけで、酒を断っていても、酒は断酒erを常に誘惑し続けているのだ。酒とは何と厄介な飲み物であることか。
酒への思いを中途半端にしておくと、飲まなくたって酒に誘惑される。
ならば、日々酒の粗探しをして、徹底的に酒の害悪を調べ上げ、酒は自分にとって毒物であることを学ぶのが、断酒の最善の道である。
そんなこと、面倒臭い!と言う方は、あと少しで2300記事になる私のこの断酒ブログを最初から読むと言う手もある。
冗談じゃない、そんなこと出来ない!と思われるかもしれないが、最初から読んで下さった方が何人もいるのだ。
その方たちは、確実に断酒を自分のものとされているようだ。素晴らしい!
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