今朝は曇り空だった。
早くから起きて、日課の炊飯などこなし、雨が降っていなければ、5時ごろポールウォーキングに出ている。
今日の写真は、近所の家の庭先に咲いていたクレマチス。
酒とは無縁の生活をしているので、起床してから就寝するまで、更に寝ている間でさえも、自分の時間である。
アルコールに脳を侵されていた昔の自分は、酔っている時間が、空白だった。人生の浪費をしていたものだった。
あの頃は、酒の表側だけ見ていた。
何でもそうだが、表面は綺麗で、整然としていることが多い。そして、往々にして、表面だけ見て、判断する。
裏面も綺麗なのか、何か問題はないのか、確かめることは簡単に出来るのに、自分に都合の良い情報だけ受け入れて、後は知らんぷりを決め込む人が多い。私もその一人だった。
酒の裏側は、それまでしこたま飲んでいた人が、断ってから相当の期間を苦しみながら、酒害を徹底的に学ぶことによって、知ることが出来る。
私は酒の裏を知ってしまったので、毎日そのことを書かずにはいられない。ある意味、酒に対する回心である。
酒に対する回心とは、飲んだくれている自らの罪を認め、断酒するに至る個人的な体験とでも表現しておく。
少し前に、アル中の回心と言うことで、記事を書いた。
世の中に流布されている酒の販売情報は、酒の表面のみ強調されている。店に陳列されている酒も、そのパッケージは綺麗に装われている。
CMでもポスターでも、タレントが白い歯を見せて、満面の笑みで美味そうに飲んでいる。
私は、それらを目にした時、酒の裏側が良く見える。飲み過ぎて吐いていたり、酔眼でハンドルを握っていたり、アルコールに内臓をやられベッドに横たわっていたり・・・
酒の表ばかり見ていてはいけない。
断酒してからでもそうである。酒の表しか見ずに断酒を続けるのは、危険だし、あまり意味が無い。
断酒しながら、酒の裏側を学び、見破らなければならない。
適正飲酒出来る人が正常で、過剰飲酒しか出来なくなってしまった人が異常なのではない。世の中、こう言った嘘を広めている。
量など全く関係なく、飲酒行為そのものが異常なのである。少量でもアルコールは人体に有害であることが証明されているのだから。
酒の表と裏を分かった上で、それでも飲むと言うのなら、それは覚悟の上の飲酒か、はたまた単に酒を断てないだけか。
酒に関しては《清濁併せ呑む》わけには行かない。
もうひとつ。
私は、酒の裏側を知ったことにより、自分や家族に関わるあらゆることについて、その表面だけでなく、裏面をよくよく考慮出来るようになった。
断酒のチカラは、スゴイ!
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