酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

般若湯 坊主守らぬ 不飲酒戒(断酒6年128日目)

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 パルティータさんのコメントから、以前書いた記事『不飲酒戒』を思い出した。

 

 仏教には、五戒と言って、在家の信者の守るべき五つの戒めがあり、その中に、酒を飲んではならぬ、不飲酒戒(ふおんじゅかい)もあるのだ。 

 

nomisuke.hatenadiary.jp

 在家の信者が守るべきことは、もちろん、出家した僧侶も守らねばならない。が、日本では、酒を飲まない坊さんなど、聞いたことがない。

 

 (禅寺で厳しい修行をする雲水は、酒など飲まないのだろうが、私の言う坊さんとは、いわゆる葬式仏教の坊さんである。)

 

 タイトルに入れた般若湯(はんにゃとう)をご存知の方は、中々に仏教の通かもしれない。

 

 僧侶たちの隠語で、酒のことを般若湯と言うのだ。つまりその、表向きは飲んではいけないことになっている酒を、いやいやこれは酒ではないぞ、般若湯という有り難い飲み物だと、こじつけているのだ。

 

 尤も、仏教と言っても、これは日本での話であって、例えばタイなどでは、僧侶はきっちりと戒律を守っているそうだ。

 

 大乗仏教、小乗仏教の違いはあるかもしれないが、根本を辿れば釈迦に至るわけで、同じもののはずだが、酒の悪魔的な魅力には、坊さんも抗えず、何とか飲む工夫をしたのだろう。

 

 私たち酒を断っている人間が、再飲酒してしまう時、心の中で悪魔の囁きが聞こえるのではないか。

 

 それは、再飲酒への扉を開く、様々なこじつけの理由である。

 

 仏教の看板を背負って立つ出家した坊さんでさえ、貴い戒律の不飲酒戒など踏みにじっているのである。

 

 酒の魔力は、私たちに、もの凄い力で再飲酒を迫って来ることがあるのも頷ける。

 

 イスラム教でも飲酒は禁じているし、キリスト教でも禁じているわけではないが、大酒を飲んで酔うなとは言っている。

 

 ただ、宗教がその教義で飲酒についてとやかく言っていても、信者たち、更には宗教の指導者でさえ、酒を飲みたくてたまらないのだ。

 

 酒を飲んで酔うことの、つまり、薬物アルコールを摂取することの魅力は、古今東西、地球上のあらゆる人々を惑わして来たのである。

 

 酒とは、なんと罪な飲み物であるか。

 

 酒はアルコールそのものであって、断じて《般若湯》などと呼び名を変えたからと言って、中身が変わるものではない。

 

 酒が人間にとって害のある飲み物であることは、永久不変の事実である。

 飲んで酔いたいがために、理由をこじつけてしまうのが、弱い人間である。

 そこを乗り越えて、酒から離れて生活出来るかどうかが、断酒生活のキモだ。

 

 

 

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