断酒仲間のおでんちゃんから、最近おもしろい話を聞いた。
有名な話だそうなので、ご存知の方もいらっしゃるだろう。(私も、過去に聞いたか読んだかしたことが、有るような無いような・・・?!)
日本史を学ぶときに、江戸時代の学者として必ず出て来る、新井白石。
彼が子供の頃のこと。学問が好きではなく、朝から晩まで友達と遊びまわっているのを見た父親が、こんな話をして聞かせたのだそうだ。
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米びつから、1粒の米をとっても、お米が減ったかどうかは分からない。けれども、毎日1粒ずつ取り続けて、1年、2年、そして3年と経てば、減ったことが分かる。
その反対に、米びつに1粒の米を加えても増えたかどうかは分からない。けれども、毎日1粒ずつ加え続けて、1年、2年、そして3年と経てば、増えたことが分かる。
勉強や習い事も同じだ。1日だけ勉強したり練習したりしても、すぐに賢くなったり、上手になったりすることはない。反対に1日怠けたからといって、次の日にすぐに分からなくなったり、下手になったりするわけでもない。
けれども毎日、毎日、ほんの少しずつでも努力を続けると、1年や2年後には分かるようになり、上手になったことも分かる。
その反対に、毎日少しだけでも怠けていると、気が付いたときには勉強も分からなくなり、下手になってしまっている。
どんなことでも、続けることが力になるのだ。
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この話を聞いた新井白石少年は、それ以来、机の上に米粒を置き、怠けそうになる自分を戒め、学問に励んだとのこと。
「新井白石 米粒」で、ググると、学校の校長先生の話として、PDFが山のように検索される。
確かに、勉強には打って付けの話であり、子供たちに教え諭すには、伝えやすい内容だと思う。
私はこの話を読んで、断酒にそのまま当てはまることだと、感心した。
よく、一日断酒と言うけれど、そのままそれが、1粒の米ではないか。
断酒初期の頃は、今日一日断酒をしたところで、昨日と大して変わらず、飲酒欲求に悩まされる。
それでも、今日一日だけ、との思いで、1粒を積み重ねて行けば、どうだろう。
段々と米粒が増えて行くに従い、今日一日の断酒がとても楽になって来て、もはや断酒を意識することが無くなって来る。
私は、今日で、2321粒の断酒米粒を、断酒の米びつに入れたのだ。
断酒の米びつは、どんなに米粒を入れても、一杯になることがない。
死ぬまで入れ続けないといけないが、入れることが日々の楽しみである。
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