あ!日課のブログを更新しなけりゃ!
今日も、ふと思い出して、パソコンに向かっている。飲まないアル中の自分に向き合い、酒の正体を暴く時間である。
もはや、私には酒なんぞは全く必要のない代物であるが、日に一度、こうしてブログを書くことによって、体内のアル虫を虫干ししている。
今日の私の居住地では、夜半から明け方まで激しい雨が降っていたが、朝からぐんぐん気温が上がり、蒸し暑い一日となった。
このような陽気では、食物は早くに傷み、人間の心も炭酸系アルコールを求めて傷む。気を引き締めて、暑さに立ち向かわないといけない。
酒について、私は、こう考える。
酒を飲み続けるのも自分、酒を断つのも自分。
どうせなら、酒なしで生きる自分に懸けて見ろ!
飲んだくれのアル中が、今後取り得る立場は、飲み続ける自分か、飲まない自分かのどちらかしかない。
飲み続ける自分でいいのか、酒なしの自分になりたいのか。
酒は毒だとか、麻薬だとか、薬物だとか、酒の正体を暴いて来たが、その前に、実は、酒なんぞどうでもいいのだ。
酒(アルコール)を前にして、飲まない自分になりたくないのか?
人生に、酒は不要。酒は、その主成分の薬物アルコールを脳に作用させて、気分を変化させるだけだ。
この考えに至ることが出来れば、酒の要らない自分になるのは、割と近いかもしれない。
ただ漠然と闇雲に断酒しても、99.99%続かないはずだ。何故酒を断ちたいのか、酒を断ってどうなりたいのか、明確にしておいたほうが良い。
その上で、酒なしの自分に懸けて見ろ!と、熱烈にお勧めする。
酒飲みの自分ではなくて、酒なしの自分に懸けるのは、勇気がいることかもしれない。
私は、今でこそ飲まないのが当たり前だが、6年前の今ごろは、日々心の中で、もう一人の自分と闘っていた。
あの頃のことを思い返すと、私は、飲みたい・飲めない・飲んではいけない、の葛藤の中で、酒なしの自分に懸けていたのだと思う。
こうして今、酒なしの自分が実現しているので、あの頃の自分の行動は間違っていなかったことが証明されている。
酒をやめていて、少しでも不安や葛藤を感じているなら、酒を飲んでいない今の自分こそ、本来の自分であることを再認識してほしい。
自分は、酒なしの自分に懸けているのだ。
そうでない自分は、酒を飲み続ける自分である。
どちらの自分をこれから続けて行きたいのか。
酒なんぞに振り回されない、酒なしの自分になる日はきっと訪れる。
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