昨日、今日と二日続けて、地元の夏祭りだった。
窓を閉め切っていても、鳴り響いて来る大きな太鼓の音に、猫のちぃちゃんはビビッて、リビングの片隅で小さくなっていた。
午後の暑い時間帯は、ちらちらと、冷房の効いた部屋の窓から外を見ていたが、夕方になってから、ふらりと祭りの見物に出てみた。
昔は大好きだった夏祭りの喧騒が、今の私には、ちょいと辛い。それに、どこからともなくアルコール臭が漂って来るのも、更に気持ちが悪い。
祭り見物に集まった人たちを見ると、片手にアルコールを持っている人の多いこと。道路にシートを敷いて、酒盛りをしているグループもあちこちにいる。
これは、アルコール臭が漂うわけだわ・・・
祭りと酒。これは最強のタッグのようだ。酒の無い祭りなど、日本では有り得ない。
そんなわけで、私が夏祭りの雑踏の中に紛れ込んでいたのは、ものの5分間くらいだった。そそくさと帰って来た。
こんな風に、毎夜のこと、私は、酒を俎上に載せる。
一日に一度、こうして断酒のブログを書く時、今日は飲酒と酒と断酒を、どんな風に切り刻んで、料理してやろうかと、レシピを考え、調理する。
断酒4日目から、酒、飲酒、断酒、酒害について書き続けているので、アルコールに関しては、あらゆる角度から、上下左右から、表から裏から見ている。
一日のうち、酒に使う時間は、ブログを書く時だけに限られており、しかも、如何にして酒を飲まないか、アルコールの毒性、酒害の実態などについて、一日に一度必ず考えて書く。
もう飲むこともない酒を、毎晩俎上に載せて、徹底的に料理する。
酒そのものに関しては、分かって来つつあるが、酒を飲む人の心理については、まだまだ分からない。
自分を害し、それだけでは足りず、人をも害する酒なる凶悪な飲料が、何故に世の中に堂々とはびこっているのか。
当たり前に売られ、人々はそれを普通に買い、日々飲む。これが異常であることを、何故に誰も気付かないのか。
簡単には答えを導けないけれども、ああでもない、こうでもないと、考察することは可能である。
自分の中で、酒の疑問がふつふつと湧き、終わることがない。
「断酒のことに限定して毎日ブログを書いてるって、凄いですね!」
こんな風に言われることが多いけれど、酒に関しては、書きたいこと、書かなければならないことが、まだまだある。終わりが見えない。
日々酒を俎上に載せて、まだまだ酒を飲酒をぶった切り、断酒へと導くようなことをして行きたい。
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