幸手市長の会見を見た。
暴行をしたのか、していないのか、どちらが真実なのかは分からない。
しかし・・・
ん~。酒飲んでた時点でアウト!だなーと、そんなことを思った次第。
そもそも、広島へは公務で出張していたわけで、夜一人で酒を飲んで酔っ払っていた時点で、アウトだろう。
何か起こしたと疑われる時、前提として、その人がその時点で酒を飲んで酔っ払っているだけで、全く信用されない。
幸手市長には、先ず、次の言葉を贈りたい。
『瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず』
(うりでんにくつをいれず、りかにかんむりをたださず)
酒を飲んで酔うとは、アルコールで脳がラリッている状態であるから、酔いから醒めて、本人が何を言ったところで、そもそも、記憶に残っていないからである。
この点、深酒をして、泥酔したことのある方なら、腑に落ちるだろう。
酒を飲む習慣のある人は、その後の人生を考えた場合、最低でも50歳になった時点で、無条件に断酒するのが良い。
このことは、随分前から、当ブログで主張していることだが、酒好きの人は断酒ブログなど読むわけがないので、気付きもしないだろうけれども。
酒飲んでやらかしたコトの後始末は、中々に大変で、無かったことにするのは、不可能である。
それは、要職にある人の場合だと尚更で、人々は先ず疑惑の先入観を持って、報道に接する。
酒を飲む行為は、一体何のためにするのだろうかと、今日の報道からつくづくと考えさせられた。
アメリカのトランプ大統領のように、酒を飲めるけれども、信条として、絶対に飲まない人のほうが、酒のトラブルが無いと言う点では、政治家として信用出来る。
飲んだくれの政治家など、全く信用出来ない。その人が、政治的手腕に優れ、実力があるとしても、飲んだくれならば、アウトである。
政治家に限らず、酒でやらかして、マスコミに叩かれる人の多いこと多いこと。いっそのこと、酒なんぞやめてしまえば良いのに、それでも多くのひとは酒にしがみついている。
酒(アルコール)とは、人生の軌道を逸らし、悪い方向へと導く、悪魔が勧める飲み物である。
それを証拠に、深酒をして、その後、人生が好転したと言う話を聞いたことが全く無い。
酒を飲み過ぎた人の人生は、必ずや、無間地獄の待つ谷底へと堕ちて行くのだ。
その最中に射す一筋の光明は、「断酒」の二文字である。
それは丸で、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」に出て来る、お釈迦様の垂らす蜘蛛の糸のようである。
酒を飲んで酔っ払う人生より、酒なんぞとは縁を切って、清々しい酒なし人生を送ろうではないか。
*広告
↓↓↓※コメント欄は、承認制にしています。すぐには反映されませんが、必ず、読んで承認しますので、お待ち下さい<(.".)>
(まことに勝手ながら、コメント内容によっては、承認の前に、削除することもあります)