酒をやめてhappyになろう!

31年間飲んできた酒をついにやめる日が来ました。でも、「断酒」はつらいよ。。。さて、いつまで続くか、続けられるか。はっきり言って、自信なし!《飲酒コントロール不能な「のみすけ」が書いてます。適正飲酒の方、酒を愛飲されている方は、当ブログをスルー(無視)して下さい》[コメント気まぐれ返信中m(_"_)m]

断酒・断酒・断酒!!

火の断酒、水の断酒(断酒6年158日目)

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 酒なんぞを打ち捨てて、毎日クリアな頭になってから、早や6年6ヶ月目に入っている。

 

 今朝も、いつもの時間にラジオを聴きながら、ポールウォーキング。

 シャカリキになって走っている同世代の人もいるけれど、私は私のやり方で、のんびりとポールウォーキング。

 

 誰とも比べず、我が道を行く。

 これがいいのだ。これでいいのだ。これしかないのだ。

 私にはネ!

 

 さて今朝のウォーキング中に見かけた、ある日蓮宗のお寺の門。

 私は宗派を問わず、お寺の入り口に掲げられている言葉が好き。

 今日そこには、火の信仰と水の信仰について書かれたものが掲示されていた。

 

 日蓮上人の言葉である。

 

 何のことかなと読んでみると・・・ふむふむ・・・なぁ~るほど!

 

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 抑も今の時、法華経を信ずる人あり。
 或は火のごとく信ずる人もあり。
 或は水のごとく信ずる人もあり。
 聴聞する時は燃立つばかりおもえども、とおざかりぬれば、すつる心あり。
 水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり。
 此はいかなる時も、つねはたいせず、とわせ給えば、水のごとく信ぜさせ給えるか。
 とうとしとうとし。

 =====================

 

 調べたところ、ざっと、次のような意味である。

 

 法華経を信仰する人の中には、火のような信仰の人もいれば、水のような信仰の人もいる。
 火のような信仰とは、教えを聞いた時には燃えるように熱心に信仰するけれど、それは一時的であって、時の経過によってその熱も冷め、やがて捨ててしまう。
 水のような信仰とは、いつも退くことなく継続的に信仰すること。
 あなたがいつも退くことなく水のように信仰しているのは、まことに尊いことだ。 

 

 信仰を断酒に置き換えてみると、確かに火の断酒の人もいるし、水の断酒の人もいるし、いたなぁと、6年半の断酒ブログ生活を振り返り、思う。

 

 一時的にわぁーっと盛り上がるタイプの人と、淡々と私のペースに合わせてくれる人とがいたし、今もいる。前者は火の断酒の人、後者は水の断酒の人かもしれない。

 

 火の断酒の人は、やたらとノリがいい。だが、ある時ぷっつりと断酒の消息を断ってしまう。多くは、燃え上がった炎が消え、再飲酒して、元の木阿弥になっているようだ。

 

 水の断酒の人は、ペースが変わらない。淡々と、ただ断酒の日々を積み重ねて行く。そして水が満ち満ちて、溢れ出すように、断酒も満ちて来るのだ。

 

 大いに盛り上がってわいわいと断酒生活を送るのが私の理想だが、実生活では、一人で黙々と断酒を継続する他はない。

 

 火の断酒は燃え尽きて終わる。

 ずっと続く水の断酒をお勧めする。

 

 

 

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